コンテンツへスキップ

セレサン石灰 – 分析結果と考察

依頼したセレサン石灰の水銀分析の結果報告が夏至の翌日22日にありました。分析に供した「セレサン石灰」は山本農薬株式会社府中工場で昭和36年1月10日に製造されたものです。タルク29.88%および消石灰(Ca(OH)2)69.7%の増量剤(あるいは基質)に対し、0.42%(Hg換算では0.25%)の酢酸フェニル水銀を含ませた製剤です。結果は前回記述した予想のほぼ範囲内でした。

見事で慎重な水銀分析を数回繰り返しており、非の打ちどころの無い素晴らしいデータを報告していただきました。57年経った「セレサン石灰」にはHg換算で0.16%(酢酸フェニル水銀換算では0.269%)の酢酸フェニル水銀が検出されました。痕跡(trace)としてのメチル水銀が数回の分析中、常にではありませんが、検出されたということですが、酢酸フェニル水銀に対して1%以下だとの報告です。添加した酢酸フェニル水銀濃度がほぼ2/3に低下していたということです。

ほぼ想定内の結果から、酢酸フェニル水銀 → ベンゼン↑ + メチル水銀↑ + CO2↑の反応式を思い浮かべました。余りに都合の良い反応式の提示に対し、当の分析者のコメントは、『酢酸フェニル水銀濃度が低下しているのは、間違いなさそうですが、低下のメカニズムには、様々な解釈が成り立ちそうですので、メチル水銀の生成・昇華を結論としてしまうには、少し慎重になる必要があろうかとは思います。』でした。「様々な解釈」を具体的に示してくれると有難いのですが、それは、後のお楽しみなのかもしれません。

私の考え(発想or素早い結論の提示)に対し、現役時代はとくに、周囲の多くの研究者から『(議論が)飛ぶ・跳ぶ=飛躍する』と言われ続けました。今も続いているのでしょう。「様々な解釈が成り立ちそう」という専門家のコメントの下で、私の発想を聞けば、多くの場合、私の発想が『飛んでいる』という評価を受けるのは必定でしょう。しかし、『飛躍』の途中にある基礎事実を伝えれば、『飛んでいる⇒とんでもない考え』との評価になるのを止めることが出来るかもしれません。

私の『飛躍した発想』の基礎になった事実は、「Hgが消滅するには昇華以外の経路は存在しない」ということです。したがって、酢酸フェニル水銀濃度が2/3に低下したという測定結果に対し、既に私に与えられた命題は、「1/3の酢酸フェニル水銀が消滅した」に在ります。データを正確に読んだ結果、「酢酸フェニル水銀が2/3の濃度に低下した」との命題に達するのは必然といえばその通りですが、余りに陳腐な発想というのが私の立場です。「1/3の酢酸フェニル水銀が消滅した」を念頭に『昇華の経路の反応式を示した』のが『トンデモナイ』と言われるのは仕方ないのかもしれません。

Hgが放射性元素であれば、当然、α崩壊・β崩壊・γ崩壊によって安定な原子核を持つ元素に変換し、Hgとしては検出されないでしょうし、代わりに他の安定元素が検出されるでしょう。しかし、そもそもHgが放射性元素でないことは紛れもない科学的事実です。ところで、酢酸フェニル水銀は燃焼によって水銀蒸気を生じることは知られています。だからといって、農薬中の酢酸フェニル水銀の1/3が特異的に燃焼し、水銀蒸気として農薬から昇華したと説明するのは無理です。「農薬」は紙袋で保管されものでした。一部が特異的に燃焼したとの説明は、「飛躍」の域を超えた「絵空事」だということです。

専門家に対し、このような単なる可能性に解釈が必要でしょうか。専門外の人々(研究者を含めて)には必要といわれるかもしれませんが、そういう方々にとって必要のない説明のように思います。むしろ、可能性の解釈が事実の解明には障害にさえなるように思います。私が『飛ぶ』のは、「農薬水俣病」を中心に考察機序を構築してきたことの「現れ」だと勝手に思うことにします。

統計ソフトの発達していない時代でしたが、昭和電工の技術研究員およびお抱え研究者が新潟水俣病裁判の被告側の科学的主張のために、セレサン石灰中の酢酸フェニル水銀の消滅についてのそれなりの実験結果を報告しています。二つの実験(調査)について個々のデータが報告されていますので、統計解析をしました。実は、私の「とんだ発想」は、この統計解析を基に出たものであり、『飛んで』はいないのだと思います。北川徹三氏の二つの実験を紹介します。

実験Ⅰ;北川は22検体のフェニル水銀系農薬を集め、フェニル水銀添加濃度、フェニル水銀の種類、製造からの経年月を記録した上で、その農薬原体に含まれるメチル水銀濃度を農薬原体中のフェニル水銀に対する組成比(%)を分析しています。集めたのは15検体の酢酸フェニル水銀製剤と7検体の塩化フェニル水銀製剤です。酢酸フェニル水銀製剤の中の1検体の製造からの経年月が記載されていないので、統計解析は21検体で実施しました。メチル水銀の組成比を従属変数とした重回帰分析です。素データを眺めてみると、経年月が長いもので経年月の異なるものを比較しても差が小さいように思いました。そこで21検体の経年月の中央値(7.5年)より短い群と中央値を含む長い群の二群(A;0,1)と経年月、および両者の積(A×経年月)、および酢酸フェニル水銀製剤か否か(酢酸フェニル水銀製剤=0,塩化フェニル水銀製剤=1)を共変数、また、添加フェニル水銀濃度を説明変数としました。

結果;メチル水銀の組成比は、酢酸フェニル水銀製剤の方が0.63%高く(p=0.009)、添加フェニル水銀濃度が0.1%増えると0.19%上昇する傾向にありました(p=0.072)。また、経年月が長い群の方が1.14%低く、経年月が1年延びると0.06%低下しましたが、共に有意ではありません(p=0.117 & p=0.455)。しかし、経年月の長い群で経年月が1年延びると有意ではありませんが0.12%上昇します(p=0.284)。このようにとくに目立った差は見られていません。その為、一般の研究者であれば、この分析で止めそうです。しかし、経年月が短い場合に低下する組成比が、長い場合に上昇するという統計結果をすんなり受け入れることは難しいです。また、フェニル水銀の最大添加濃度が0.42%であるにもかかわらず、酢酸フェニル水銀製剤の方が塩化フェニル水銀製剤より0.63%高いという統計結果も受け入れにくい数値です。むしろ、塩化フェニル水銀からはメチル水銀が生成しないという現象と捉えたいと思います(これを多くの研究者は&oの『飛躍』と言い放ちますが…..)。そこで、重回帰分析を、酢酸フェニル水銀製剤の農薬原体に限定し、さらに経年月の長さの異なる群別に実施することにしました。

結果Ⅱ;経年月前半群(7年5か月まで)では⇒メチル水銀組成比は、共に有意に、添加酢酸フェニル水銀濃度が0.1%増える毎に0.72%上昇し(p=0.006)、経年月が1年延びる毎に0.29%上昇します(p=0.039)。一方、経年月後半群(7年6か月以上)では⇒メチル水銀組成比は、共に有意ではありませんが、添加酢酸フェニル水銀濃度が0.1%増える毎にわずかですが0.03%低下し(p=0.837)、経年月が1年延びる毎に0.05%上昇します(p=0.210)。前半群では酢酸フェニル水銀が相当な勢いで分解していることを説明し、後半群では酢酸フェニル水銀の分解が滞ったことを説明していると考えます。

この実験をした北川は、酢酸フェニル水銀の酢酸基の分解によってメチル水銀が生じること、および経年月の増加とともに生成したメチル水銀が減る消滅する)、と解釈しています。北川は、酢酸フェニル水銀製剤からのみメチル水銀が生成していることから、酢酸基からの脱炭酸反応によってメチル水銀が生成すると解釈しています。また、経年月が5年未満でのメチル水銀組成比が1.22%、それらが5~10年で0.86%、さらに10年を超えると0.54%であったことを、メチル水銀生成量が低下したと解釈するのではなく、生成したメチル水銀の昇華量の増加と解釈しています。これらは、ある意味、『飛躍』した解釈です。メチル水銀の生成機序を、酢酸フェニル水銀 → ベンゼン↑ + 酢酸第二水銀 → メチル水銀↑ + CO2↑ と『直観的に』解釈し、組成比の差を昇華量の差と勝手に(『飛んで』)解釈しています。

北川のデータそのものを用いた今回の重回帰分析では、農薬原体中のメチル水銀組成比の変動を解析したのであって、農薬原体におけるメチル水銀の動向を算出・解析したわけではありません。しかし、この統計結果から、分解生成したメチル水銀の動向を示唆してくれていると解釈することが『飛んでいる』ことになるのでしょうか。北川の解釈を、ここに示した&o流の重回帰分析が支持していることを示唆しています。

そうすると、今回報告していただいた分析結果は、57年保管後の「セレサン石灰」原体にメチル水銀がほとんど検出できなかったことを、製造後57年経過した「セレサン石灰」原体中の酢酸フェニル水銀が、分解していない安定している)と説明できそうです。正に『飛んだ』説明を加えると、「セレサン石灰」の酢酸フェニル水銀の分解は、製造後暫くの間続きますが、「セレサン石灰」中の増量剤間(消石灰とタルク)の反応が平衡状態になることで、分解活性が失活すると考えました。

実験Ⅱ;酢酸フェニル水銀(PhHgAc)の分解に、農薬増量剤として使われた消石灰(CaOH)およびタルク(Tarc)の関与についての実験です。8つの検体を用意しています。①PhHgAc 100%・CaOH 0%・Tarc 0%,②PhHgAc 50%・CaOH 50%・Tarc 0%,③PhHgAc 10%・CaOH 90%・Tarc 0%,④PhHgAc 10%・CaOH 80%・Tarc 10%,⑤PhHgAc 10%・CaOH 60%・Tarc 30%,⑥PhHgAc 50%・CaOH 0%・Tarc 50%,⑦PhHgAc 10%・CaOH 10%・Tarc 80%,⑧PhHgAc 10%・CaOH 0%・Tarc 90% この8つの検体に50℃の温熱負荷をかけて、5日、10日、および20日のメチル水銀の生成率をPhHgAc中のメチル水銀の組成比として測定したものです。

メチル水銀組成比を従属変数とした重回帰分析を行いました。PhHgAc濃度、CaOH濃度および経過日数を説明変数とし、Tarc の不添加・添加(0,1)を共変数としました。CaOH 濃度とTarc濃度は共鳴しているので(50:0,90:0,80:10,および60:30の組合せ)、Tarc濃度を説明変数とすると意味のない解析になります。

結果;メチル水銀組成比は、PhHgAc濃度が10%増えると0.05%低下します(p=0.017)。CaOH濃度が10%増えると(Tarc濃度が10%減ると)、0.03%低下します(p=0.045)。経過日数10日毎に0.27%上昇します(p<0.001)。タルク(消石灰)が添加された方が有意ではありませんが0.1%高い(低い)です(p=0.352)。

実験Ⅱからは、経過日数に依存した酢酸フェニル水銀の分解によるメチル水銀生成の進行、また、増量剤がタルクの場合にメチル水銀の生成がより進むことが示唆されています。ただし、増量剤が単独と二種類でメチル水銀の生成の進行についての差は検出出来ていません。農家の納屋で紙袋保管中の「農薬原体」の温熱曝露が50℃になることはないでしょう。実験を計画した北川の意図(多分;酢酸フェニル水銀は分解が早く、その際、メチル水銀が生成する)は達成されているようですが、現実離れの設定(農薬配合率0.42%→10%, 50%,温熱曝露20℃→50℃)ですので、科学的な説得力は乏しいと思います。新潟水俣病裁判における「農薬説の構築」の為の実験というのが背景であったにせよ、このような強引な実験結果を提示したことで、余計に、農薬説が採用されにくい状況をつくったようです。想定外の結果から想定内を証明するのは、科学ではないという教訓の実験だと思います。実験Ⅰで検体数を倍にするだけで情報精度は格段に増したでしょう。焦って結果を求めた実験Ⅱだったと思います。裁判には逆効果だったと思います。結果、実験Ⅰも採用されなかった・されないままの現実・現在を作ってしまったようです。

実験Ⅰからは、酢酸フェニル水銀 → ベンゼン↑ + メチル水銀↑ + CO2↑ が『飛んでもない』結果でないことが伝わって来ます。「農薬によるメチル水銀汚染」の存在を無視しないで欲しいものです。

1 thought on “セレサン石灰 – 分析結果と考察

  1. tetuando

    セレサン石灰を提供していただいた方からの貴重なコメントが、これまで、農薬によるメチル水銀汚染の進行について、&oが考えていなかった一面を切り開いてくれたようです。水銀系農薬の使用については、1966年5月6日、および1967年5月23日に、それぞれ農林省の事務次官、および農薬局長から「水銀系農薬の代わりに非水銀系農薬の使用を促す通達」が出されています。その後、1968年を以て水銀系農薬の空中散布が禁止され、1973年を以て、水銀系農薬は失効しました(製造・輸入・販売の禁止⇒罰則有り;使用⇒罰則なし)。
    ところで、1966年は事務次官通達があったにも関わらず、水銀系農薬の年間使用量は最大でした。稲イモチ病対策の非水銀系農薬の生産量が十分でなかったことが「日本農業新聞」に掲載されています。その上、事務次官通達の時期が遅かったことで、農家は既に水銀系農薬を購入(注文)していたと思います。また、稲イモチ病対策にはセレサン石灰が最も効果があることを、身を以て知っていた農家が非水銀系農薬をわざわざ別途購入して使用し、水銀系農薬を破棄したとは考えられません。さらに、1967年の局長通達があった後も、農家の稲イモチ病対策の第一選択は、依然として「セレサン石灰」だったのだろうと考えられます。したがって、「セレサン石灰」を所持している間は使用した⇒無くなるまでは最小量を使用し続けた、と考えていました。実際、1974年の鹿児島湾奥魚介類の総水銀濃度は、7月~9月のそれらが、4月~6月に比べて高い傾向にありました(p=0.035,安藤;2012)。一般的なp値(危険率)の有意性であれば、5%未満(p<0.05)を採用することで、3.5%を有意と判断しても良かったのですが、この論文では自分自身でなく、鹿児島県のデータを使ったことを考慮し、有意性を1%以下(p≦0.01)としました。7月・8月の稲イモチ病対策の水銀系農薬の散布による鹿児島湾環境への影響であるという想定であれば、「1%以下のp値が得られるはず」と考えたこともあり、論文で5%未満を採用して正解だったと思っていました。正に、1974年時点でも「セレサン石灰」の使用が続いていたという状況証拠としては「夏季に有意に高い魚介類の水銀濃度」が検出される、との「考え」でした。
    農薬を提供してくださった方の貴重なコメントは、水田の灌水です。水田といっても常に水を張っている状態にないことは、知っていましたが、それは、稲の温度管理に必要だからと知ったかぶりでした。もちろん、それも重要なことですが、今回の知見は、稲が生長し実るためのミネラル(肥料)の供給ということも灌水の重要点であることについてでした。河川水に含まれるミネラルの濃度は当然薄い・希薄といっても過言ではありませんが、毎日繰り返される大量の灌水に含まれるミネラル総量はかなりの量でしょう。それに希薄なミネラルの吸収率は間違いなく高まるはずです(浸透圧に影響され難い)。そういえば、梅雨時の稲は、何時見ても、背丈が変わらず、伸びていないようにさえ思えます。しかし、夏休みに入るころから、あっという間に、背丈も伸び、穂をたわわに生長する姿を、何となく観察(季節感として)していました。灌水のお陰だったようです。毎日、夕方に水を張り、午前中に水を抜くという農作業は、水田土壌の、前者は嫌気菌に、後者は好気菌にとってこの上もない活躍(活動)の場を提供していることになります。前者は還元、後者は酸化という化学反応を行い、昼夜を挟んで活発に取り交わし、イオン化していない(溶けていない)ミネラルも稲が利用できるように活動・イオン化しているはずです。水田には好気菌・放線菌・糸状菌・硫酸化成菌/嫌気菌・脱窒性菌・硫酸還元菌が豊富との情報を得たのです。
    この間断灌水時の水田土壌に残留した「セレサン石灰」中の酢酸フェニル水銀が嫌気菌群・好気菌群という水田土壌中細菌叢による還元・酸化反応を受け、メチル水銀の相当量の生成があったたことは容易に予想できます。1974年の4月~6月と7月~9月の鹿児島湾奥魚介類の総水銀濃度に有意差がない・傾向に止まったことを説明しているように思います。5月の鹿児島は既に夏です。水田は、ほぼ水を張った状態ですので、嫌気菌叢が活発だったと思われます。メタンガスをつくる嫌気菌が、メチル化能を持っていることも想定の範囲です。そうすると、1970年代になってからのメチル水銀負荷源は、農薬散布分が急速に減り、水田における微生物によるメチル化だったことが期待できます。鹿児島湾から観察すると、1980年代には、水田の残留水銀は相当に減ったと思われます。

    返信

tetuando へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Translate »