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我が国におけるメチル水銀汚染-第五章 北海道 – 2. 石狩川水系

土井と福山(石狩川水系産淡水魚の水銀蓄積に関する研究,35,467-478,1980,日衛誌)が、1975~78年に、石狩川水系の米盛(米飯)川、倉沼川、牛朱別川、忠別川、美英川、石狩川、オサラッペ川、および江丹別川から637匹のウグイを採集し、総水銀濃度(ppm,幾何平均,95%信頼区間,最小-最大;0.175, 0.168-0.183,0.03-0.88),体長(mm,算術平均,標準偏差,95%信頼区間,最小-最大;149,35,146-151,73-326)を測定しています。

暫定基準値(総水銀0.4 ppm)を超えた検体数は57(総数の8.9%)です。内訳は0.4超;31,0.5超;14,0.6超;7,0.7超;3,0.8超-0.88;2です。各河川では、米盛川(24/121;19.8%)、倉沼川(8/35;22.9%)、牛朱別川(0/33;0%)、忠別川(2/43;4.7%)、美英川(3/98;3.1%)、石狩川(4/145;2.8%)、オサラッペ川(7/49;14.3%)、および江丹別川(11/113;9.7%)です。

各河川の位置関係を記します。米盛川の源泉近くに水銀廃鉱があります。米盛川と倉沼川はともに北西方向へ下っていますが、両河川が合流する2 km手前で倉沼川は北北東方向に下ります。両河川の合流地(地点;A)から北西1.5 km 下流で牛朱別川と合流します(B)。Aから南 1.1 kmに両河川に挟まれて旭山動物園があります。そこから西南西に 8 km 下流で北東から下ってくる石狩川と合流します(C)。Bから7.5 km付近が旭川市役所の北北東500 mです。Cから東南東 2 km 上流・Bから西南西 6 km 下流に製紙工場が在ります。Cから西 2 kmで忠別川と美瑛川が合流した忠別川と合流します(D2)。忠別川と美瑛川はD2から南南東 1.2 km上流で石狩川と合流しています(D1)。石狩川D2から北西 1.5 kmで北東から下ってくるオサラッペ川と合流します(E)。石狩川Eから西南西 1.7 kmで北から下ってくる江丹別川と合流します(F)。

各河川別・上下流別・年別のウグイ総水銀濃度(ppm)を列記します。源泉から西北西 8 km下流・Aから南東 8 km上流が①米盛川(年,幾何平均;95%信頼区間,例数,1976,0.46;0.39-0.53,21,1977,0.21;0.19-0.23,76,1978,0.31;0.27-0.36,24)の測定値です。Aから南 4 km上流が②倉沼川(1976,0.28;0.24-0.32,35)の測定値です。米盛川、倉沼川および牛朱別川の合流地Bから北東1 km上流および西南西 6.5 km下流(Cの東南東 0.5 km上流)が③牛朱別川(1978,0.13;0.11-0.14,21,19780.140.110.1812)の測定値です。Cから北東8 km上流および南西1.5 km下流、および石狩川河口から4 km上流が④石狩川(1978,0.22;0.19-0.26,25,19780.140.120.172419780.120.110.1396)の測定値です。D2から南東6 km上流が⑤忠別川(1978,0.18;0.16-0.21,43)、およびなん南東 6 km が⑥美瑛川(1977,0.17;0.15-0.18,98)の測定値です。Eが⑦オサラッペ川合流地19750.260.170.391319760.140.100.1911)、およびFが⑧江丹別川合流地19780.120.110.1325)の測定値です。Eから北東7 km が(⑦)オサラッペ川上流地(1975,0.29;0.19-0.44,12,1976,0.11;0.09-0.13,13)の測定値です。Fから北6 km上流が(⑧)江丹別川上流地(1977,0.17;0.14-0.19,88)の測定値です。各河川の太文字表示は同一河川での下流地のデータです。

先ずもって少々強引ですが(全体像を観察するため)、637検体のウグイの総水銀濃度(対数値,ppm)を従属変数、各河川流域を説明変数、ウグイの体長(cm)、および採集年(1975年を基準にした経過年数)を共変数として重回帰分析を行いました。ウグイの総水銀濃度は体長に依存して高く(p<0.001)、経年的に低下しています(p<0.001)。体長および経年の変動を統計学的に調整したウグイの総水銀濃度は高い順に、米盛川≧倉沼川≧忠別川>牛朱別川≧江丹別川≧美瑛川≧石狩川≒オサラッペ川です。統計処理しない測定値自体でも米盛川で最高のウグイ総水銀濃度であったため、汚染源=水銀廃坑という構図になっています。ここまでの重回帰分析の結果を前面に出せば、石狩川水系のウグイ総水銀濃度が経年変動するものの水銀廃坑に影響されていると説明できるかもしれません。しかし、これは、牛朱別川流域に製紙工場(一時期、木材・木材チップの防カビ剤として酢酸フェニル水銀が使用されていた)があること、石狩川流域の各地で使用されていた水銀系農薬の残留水銀を無視した結果に止まります。先に進みましょう。

米盛川で最大のウグイ総水銀濃度であるというこの重回帰分析の結果が正しいとするには、幾つかの確認が必要です。ウグイの総水銀濃度が体長に依存して高いということに関連の一致性(この場合、どの河川域でも両者に有意の正相関がある)が得られるべきです。また、経年変動にも関連の一致性(この場合、毎年の米盛川の水銀廃坑からの水銀の各河川への流出変動が有意に一定レベルであること)が得られるべきです。そこで、まずウグイ総水銀濃度を流域毎(河川別)に、体長を説明変数、経年、および流域における位置(上流=0, 下流=1;測定していない河川では除いています)を共変数として重回帰分析を行いました。

76年~78年の米盛川のウグイ総水銀濃度は、経年的に低下傾向(p=0.074)にあり、体長に依存して高くなっています(例数,相関係数,p値;122,r=0.76,p<0.001)。ウグイ総水銀濃度の経年変動は、76~77年には有意に低下し(p=0.003)、77~78年には有意ではありませんが上昇しています(p=0.636)。そして、それぞれの経年変動を調整したウグイ総水銀濃度は、両年間ともに有意に体長に依存して高くなっています(76・77年;98,r=0.79,p<0.001,77・78年;100,r=0.75,p<0.001)。米盛川の場合、どの採集年でもウグイ総水銀濃度が体長に依存して(成長とともに)上昇しています。

倉沼川、美瑛川、および忠別川のウグイ試料は、それぞれ単年度の76年、77年および78年に採集されています。倉沼川(35,r=0.75,p<0.001)、美瑛川(98,r=0.28,p=0.003)、および忠別川(43,r=0.62,p<0.001)のいずれのウグイ総水銀濃度体長に依存して高くなっています。だたし、美瑛川の場合、例数が多いことで両者の弱い正相関関係が有意になっているに過ぎません。

オサラッペ川では75・76年にそれぞれ下流域と上流域でウグイを採集しています。オサラッペ川のウグイ総水銀濃度は、下流域の方が上流域より高いのですが有意ではなく(p=0.205)、75年から76年に掛けて低下するものの有意ではありません(p=0.247)。しかし、それらの地域変動および経年変動を調整したウグイ総水銀濃度体長に依存して高くなっています(49,r=0.66,p=0.004)。

牛朱別川では78年に下流域と上流域でウグイを採集しています。牛朱別川のウグイ総水銀濃度は下流域の方が上流域より高いのですが有意ではありません(p=0.302)。その地域変動を調整したウグイ総水銀濃度は、体長に依存して高くなっていますが有意ではありません(33,r=0.14,p=0.154)。

石狩川では78年に、上流域、中流域、および下流(河口)域でウグイを採集しています。ウグイ総水銀濃度の上流域と中流域間(p=0.001)、および中流域と下流域間(p=0.039)の差はともに有意であり、上流域から下流域に向って有意に低下しています(p<0.001)。しかし、地域変動を調整したウグイ総水銀濃度は体長に依存して高くなっていますが有意ではありません(49,r=0.51,p=0.190)。

江丹別川では77年に上流域で、78年に下流域でウグイを採集しています。江丹別川の場合、時と場所が異なるので、ウグイの総水銀濃度と体長との相関関係を採集年毎に解析します。77年・上流のウグイ総水銀濃度と体長との関係はなんと逆相関ですが、もちろん有意ではありません(88,r=-0.09,p=0.623)。78年・下流のそれらは体長に依存して高い傾向にありました(25,r=0.33,p=0.061)。

河川別のウグイ総水銀濃度と体長は、米盛川、倉沼川、忠別川、美瑛川、およびオサラッペ川で有意の正相関関係がありましたが、牛朱別川、石狩川、および江丹別川では両者の相関関係は有意ではありません。水銀(メチル水銀)が食物連鎖を通して生物濃縮されているのであれば、成長(体長増加)とともに水銀濃度が増すことになります。したがって、ウグイ総水銀濃度とそれらの体長との相関関係が有意であれば、それらの水銀濃度が食物連鎖経由の生物濃縮の結果と評価して良いものと思います。だからといってそれらの相関関係が有意でないので水銀か食物連鎖を経由して生物濃縮されないと判定するのは間違っていると思います。

ウグイは成長するために食餌を摂ります。食餌にメチル水銀が含まれていないことが一般的事実ならば、食物連鎖経由の生物濃縮を否定しても良いでしょう。しかし、メチル水銀は自然界で無機水銀のメチル化(ほとんどの微生物が無機水銀;Hg2+の無毒化のためにメチル化 or 還元=Hg0することで⇒大気中へ水銀を放出する)によって生成されています。その量が多いのが水銀耐性微生物と呼ばれますが、メチル化率が1%を超える能力をもつ微生物は稀です。また、微生物の水銀耐性はその環境によって次第に獲得するのではないかと考えられます。実際、水俣湾の25ppm・Hg以上の海底泥は浚渫され、現在は竹林公園の土台となっています。残された25ppm未満の海底泥は浚渫・除去しませんでした。水俣湾魚介類の水銀濃度が3年連続0.4ppmを下まわったとして1997年10月から全長4,400mの仕切り網が撤去されました。しかし、近年、常時ではありませんが、0.4ppmを超える魚が検出されています。水銀耐性を獲得した微生物によってメチル化が継続的に為されているのであれば、とくに夏季の海水温が高い時にメチル化が進むでしょうから、現在の水俣湾における夏季から秋季の魚介類を集中的に調べれば、「不都合な真実(メチル水銀汚染魚が数多く検出される)」が知らされるかもしれません。

ウグイの総水銀濃度と体長に有意の正相関関係が必ずしも得られないことから、自然界の食物連鎖網では一部に食物連鎖を経由しないメチル水銀の生物濃縮があることに気付かされます。これ(この土井らの論文が掲載された頃)までは、汚染物質の生物濃縮は基本的に食物連鎖経由で為されるものと考えられていました。実際、当時の教科書ではDDTsの生物濃縮率を食物連鎖網の中で説明していました。DDTsは有機塩素系農薬ですが、団塊の世代より少し高齢の方々では「頭から浴びせられた」思い出があるのではないでしょうか。海生研の夏合宿でもお世話になりました。DDTsの環境汚染のことは『Silent Spring;沈黙の春』で、食物連鎖による生物濃縮のことは「環境ホルモン問題」で集中的に取り上げられました。水俣病の原因物質はメチル水銀ですが、当時の熊本大の水俣病研究者は、それらをもっぱら有機水銀と呼びました。とくに、胎児性水俣病の発生機構を論じる時、胎盤を通過できない「無機水銀」とは異なり「有機水銀」が胎盤を通過することを強調しました。その上、それらの血中濃度が母よりも児に高いと知らされました。その為「(母の)有機水銀」が胎盤を通過して胎児に濃縮するという定性的な表現がまかり通り、さらに「有機水銀」が脂溶性であることを鵜呑みしてしまい、DDTsと同じように食物連鎖経由で何万倍(表現は定量的ですが科学的なデータはありません)も生物濃縮をするとの知識になったように思います。メチル水銀は「有機水銀」ですが、水に溶けないわけではありません。水俣湾の海底泥に含まれた海水中メチル水銀濃度が2.69 ± 2.07(11検体)ppt = 1/1012(1兆分の1)であったと報告されています(Matsuyama et al, Marine Pollution Bulletin, 129, 503-511, 2018)。底泥に含まれた海水という特殊な検体ですが、海底泥の浚渫時(一部の泥が海水に懸濁するため)、とくに仕切り網を設置した当初には水俣湾内の魚介類の水銀レベルは低下しませんでした(「水俣湾 環境復元事業の概要」,熊本県,2007)。ppt レベルであればメチル水銀が水(海水)に溶けていることから、そのようなメチル水銀が鰓経由で生物濃縮されたと考えて良いでしょう。メチル水銀の鰓経由の生物濃縮については初代の海生研OBHPに投稿しましたが、改めて別の機会にこの二代目HPに投稿しようと思います。

ウグイの総水銀濃度は、体長を調整しても各河川でレベルが異なっています。各河川環境におけるメチル水銀レベルが異なっていたと判断すべきでしょう。上述したように、その中で米盛川のウグイの総水銀濃度が対象とした8河川中で最高であることから、米盛川の水源地に在る水銀廃鉱がウグイのメチル水銀源である可能性は否定できません。しかし、米盛川についての重回帰分析で、76年から77年のウグイ総水銀濃度は低下していますが(p=0.003)、77年から78年のそれらは有意ではありませんが上昇しています(p=0.656)。メチル水銀の負荷源が米盛川の水銀廃坑であるとすると、米盛川における経年変動幅に多少の違いが有っても不思議ではありません。しかし、有意に低下した翌年に有意ではないにしても上昇に転じたことを、廃鉱からの水銀の流出量、あるいはそれらの水銀のメチル化率上昇したとの説明するのは、単なる「主張」に過ぎません。水銀廃坑が主なメチル水銀負荷源であるとの仮説の証明は難しいというべきでしょう。

実は、全637例のデータの内、同一河川で経年変動を算出できたのは、米盛川の76年から78年、およびオサラッペ川の75年から76年に止まっています。また、オサラッペ川のウグイ総水銀濃度においても経年的に低下しましたが有意ではありませんでした(p=0.247)。637例のウグイ総水銀濃度を従属変数とした重回帰分析では、計算上8河川中2河川の経年変動傾向をその他の6河川にも当てはめた結果ということです。経年変動の方向性を検討すると、3つの経年比較(75-76年のオサラッペ川,76-77年、および77-78年の米盛川)は一定ではありません(関連の一致性が得られないということ)。そこで、重回帰分析の共変数から経年変動を除いて再計算することにしました。なお、メチル水銀は確実に食物連鎖経由で生物濃縮されていることから、体長は共変数から外せないと思います。

説明変数は各河川です。この場合、ウグイ総水銀濃度は上位から倉沼川≧米盛川>オサラッペ川≧忠別川≧美瑛川≧江丹別川>牛朱別川≧石狩川です。経年変動を共変数として加えた場合を再掲すると、米盛川≧倉沼川≧忠別川>牛朱別川≧江丹別川≧美瑛川≧石狩川≒オサラッペ川です。経年変動の算出に用いたオサラッペ川の順位の変動が最も大きかったことから、重回帰分析では経年変動幅が過剰に評価された可能性は否定できません。そして、経年変動を共変数として加えない場合、米盛川でなく倉沼川のウグイ総水銀濃度が最高でした。実際、ウグイ総水銀濃度を体長だけで調整して米盛川および倉沼川のそれらを比較すると、倉沼川の方が米盛川のそれらより有意に高いです(p=0.030)。

したがって、ウグイ総水銀濃度において米盛川のそれらが最高であると結論することはできません。すなわち、石狩川水系におけるメチル水銀の主要な負荷源が水銀廃坑であるとは言えないでしょう。

ところで、水銀廃坑由来の無機水銀がメチル水銀負荷源の一部であるとしても、無機水銀のメチル化が容易にかつ高率に起きることを証明する必要があるでしょう。微生物により無機水銀が自然界でメチル化されることは、定性的には周知の事実です。しかし、これまでの多くの報告では無機水銀のメチル化率について定量的に言及していません。10種類の細菌による培地中の塩化第二水銀からの実験上の定量的なメチル化率が報告されています(水俣病-20年の研究と今日の課題,有馬澄雄編,青林舎⇔以下、青本と記します,pp701, 1979)。それらのメチル化率の高い方から0.48%0.35%、および0.0019%の3種の細菌がありますが、その他の7種類の細菌は、6.8×105%以下(~8×107%)と報告されているように、細菌類のメチル化能は極めて低いのです。仮に、メチル化能の高い上位3種の細菌が米盛川流域で圧倒的な優勢種だったとしても水銀廃坑由来の「無機水銀」から高濃度のメチル水銀が生成したとは考えにくいと思います。

長い間に微生物の水銀耐性能が上がり、メチル水銀が以前より多量に生成するというのであれば、現時点における石狩川水系のウグイの水銀モニタリングをすれば、それから科学的な結論が検出出来るでしょう。水銀廃坑がメチル水銀の負荷源であるならば、今こそ、米盛川のウグイの総水銀(メチル水銀)濃度が石狩川水系のどの河川のそれらよりも高いことが期待されます。

ところで、稲イモチ病対策の水銀系農薬の主製剤である酢酸フェニル水銀(PMA)からのメチル水銀の生成率は塩化第二水銀(HgCl2,水への溶解度;74 g/㍑,硫化水銀は水に不溶)の10倍を超え、その率は1.3%を超えています(青本,pp700)。また、PMA系農薬原体1.0 mgの薄層クロマト分析で、PMAの他に標準塩化メチル水銀の移動距離(Rf値=0.15)とナフチルチオカルバゾンによる発色(赤~赤紫)が一致する物質を検出しています(検出限界0.2μg;新潟水銀中毒に関する特別研究報告書,科学技術庁研究調整局, pp 273-275,1969)。

PMA系農薬原体には0.17~0.42%のPMAを含有しています。PMA系農薬原体1.0 mg中には1.7~4.2µgのPMAが含まれています。薄層クロマト上でのメチル水銀が検出限界としての0.2µgの検出であったとしても4.811.8%のメチル水銀がPMA系農薬原体中のPMAに含まれていたことになります。

PMAの高いメチル化率やPMA系農薬中のメチル水銀の高含有率は石狩川全流域におけるウグイの総水銀濃度の地域(採集地)差が、地域の水田耕地面積の差、すなわち酢酸フェニル水銀系農薬の散布量の差に依存して発生した可能性が高いことを示唆しています。酢酸フェニル水銀系農薬の大量散布が石狩川の全水系のメチル水銀供給源であった可能性を検討するための環境調査(各河川底質土の層別水銀分析が望まれます)を実施すれば、事実が明らかになるでしょう。前回投稿の無加川水系において、水銀鉱山所在地のウグイのそれらが最高でないこと(山中すみへ・上田喜一, 1974)の説明として無加川流域での酢酸フェニル水銀系農薬の使用による追加的メチル水銀汚染があったことを挙げることができると思います。昨年(2018年)7月、梅雨の無い北海道で梅雨末期のような大雨が降り、米盛川の堤防が決壊し、水田が濁流に飲み込まれました。米盛川流域が水田地帯であることを知りました。

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