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我が国におけるメチル水銀汚染-第六章 東京湾・琵琶湖(閉鎖系水域)

東京湾および琵琶湖の海底・湖底の柱状堆積物試料の層別の210Pb(半減期;22.3年)の放射能(Bq/kg;単位当たりの放射能の強さ;ベクレル)とHg濃度(ppb)を測定することで、それぞれのHg堆積量の経年的変動が調査されています。2人の研究者はこれらのHg堆積量の経年変動が水銀系農薬の使用に依存したものと報告しています。水銀系農薬が環境への水銀負荷源であると報告した数少ない研究を紹介します。

 

東京湾

坂田は、東京湾への年間水銀総堆積量が495kgであり、東京湾の一年間における日常的なHg出納の内訳は、河川水および大気から70kg、および37kgが入り、海水排出および海面からの昇華で13kg、および49kgが出ていくことを観測によって推定しています(坂田昌弘,東京湾における水銀汚染の現状とその負荷源,日本海水学会誌,60,147-151,2006)。したがって、Hgの年間堆積量と出納量との差である入量450kgが、洪水などの増水時の河川水で運ばれる土壌に含まれていると推定し、1950年代から大量散布された農薬水銀が主な負荷源であろうと報告しています(坂田,ibid,2006)。

東京湾海底柱状堆積物(葛西臨海公園の南東約7km地点で採取;70 cm柱)における水銀濃度の年代別(表面から 4 cm=2000年,54 cm=1900年)測定は、水銀の負荷が1950年代の半ば(1950年;350 ppb,1955年;450 ppb)から急速に増え、1970 年代代前半(1972年;1150 ppb,1974年;1100 ppb)をピークに1980年(750 ppb)までに急速に減少し、1980年以降の低下が緩慢(1984年;550 ppb,2000年;500 ppb)であったことを示しています(坂田昌弘,ibid. 2006)。

海底堆積物中の水銀濃度が急増した1950年代後半からは稲イモチ病対策の水銀系農薬の大量散布があり、水銀法(*1)によるカセイソーダ(NaOH)生産が1973年(有明海第三水俣病問題発生年)まで席巻していました。例えば、1970年の我が国における水銀法用の水銀使用量は 887㌧(全使用量1270㌧の70%)で、農薬使用量は 8㌧(*2)でした(非鉄金属等需要統計年報,1970)。

(*1);食塩水の電気分解で、水銀陰極にNa・Hg;ナトリウム・アマルガム(NaとHgの合金)が生成し、黒鉛陽極にCl2;塩素ガスが発生します。Na・Hgを水に溶かすとNaOH(50%濃度)とH2が産生され、Hgは回収できます。産生したカセイソーダをクロルアルカリと呼んでいます。;純度が高い上に収量効率も高いので、欧州では未だに水銀法によるカセイソーダ生産が続いていますが、2020年までに水銀法を全廃するという目標を掲げています。;本OB会HPの徳山湾第四水俣病問題で記したように、徳山湾のメチル水銀負荷源のほとんどは水銀系農薬だと考えています。水俣病問題に敏感な国民の関心を「水銀系農薬」から逸らすために、「水銀法」が身代わりになったのではないかと思います。上記したように諸外国では未だに「水銀法」が使われています。諸外国で水俣病問題が発生しないのは、魚食量が少ないだけの理由とは考えにくく、無機水銀のメチル化効率がそれほど高くないことの裏付けと考えられます。

(*2);幾つかの報告書を総合的に判断すると、1968年末には水銀系農薬の製造が中止状態だったと考えられます。しかし、実際の統計には1970年で8㌧の水銀で水銀系農薬が細々と製造されていたようです。昭和28年(1953)から昭和44年(1969)までの17年間に水銀系農薬に使われたHg量は6,800㌧です(参議院質問第10号 農薬及び肥料中における重金属等有害物質の含有状況ならびに使用実績に関する質問主意書,峯山昭範,昭和48年7月19日)。

水銀系農薬は1966年に最も使用されました。したがって、坂田が示した1970年代前半のそれらのピークには、NaOH生産に使用した水銀の非回収分が相当量含まれていたと考えられます。海底堆積物中の水銀濃度が低下し始めた1970年代の日本では、水銀系農薬の生産・販売・輸入が禁止され、NaOH生産も水銀法から隔膜法(石綿で陰極側と陽極側を仕切る)やイオン交換膜法に転換されています(1985年まで水銀法生産が続きましたが、翌年、「水銀法」は全廃され、「隔膜法」に使う石綿も人体に有害なため、1999年には全て「イオン交換膜法」に転換されました)。そうすると、1985年以降の緩慢な低下は、農地に残留・堆積していた水銀の東京湾への河川水による運搬が続いたことを説明しています。正に東京湾海底堆積物の水銀濃度変動が人工的な水銀使用量の変動に依存していることを支持しています。

海底堆積物水銀の圧倒的大部分の化学形態は無機水銀であると考えられますが、それらが高率でメチル化したとは考えにくく、魚介類を濃厚に汚染することはなかったでしょう。大気や河川からの水銀の負荷によって東京湾海水中には14 kgの水銀が溶けているそうです(坂田昌弘,ibid. 2006)。東京湾の海水量(内水面積960km2×平均深度15m = 14,400,000m3)から、その平均濃度は約1.0 ng/Lと算出できます。2004年から2006年の3年間の水俣湾海水中溶存態メチル水銀濃度0.10 ng/Lです(松山明人,NIMD Forum 2010)。そして同時期の水俣湾のカサゴ総水銀濃度は0.31 ppm(熊本県報告,2010)です。溶存態メチル水銀濃度1.0 ng/L海水は間違いなく濃厚汚染レベルです。坂田(2006)は東京湾の海水中メチル水銀濃度を測定していませんが、東京湾海水中溶存水銀に占めるメチル水銀の割合は1%にも届かなかったと予想します。また、河川水で東京湾に運ばれるHgのほとんどが無機水銀と考えられます。実際、現在、東京湾産魚介類のいずれもメチル水銀汚染魚として漁業規制されていません。

一方、稲イモチ病対策の水銀系農薬の散布は7月中旬から9月上旬の夏季に集中します。その為、1950および1960年代の夏季に河川水によって運ばれた水銀の相当な部分がメチル水銀であった可能性は十分あったでしょう。1969年の群馬県の利根川流域で採集された川魚(ウグイおよびオイカワ等)の平均総水銀濃度が0.49 ppm、水俣湾の魚介類(アサリおよびキス等)のそれらが 0.57 ppmと報告されています(厚生省,1969)。魚介類が生物濃縮する水銀のほとんどがメチル水銀であるため、魚介類の総水銀濃度はメチル水銀濃度と換言することができます。水銀使用工場および水銀鉱山が無く、水量の多い利根川のような河川のメチル水銀レベルが、水俣湾と同等に達した負荷源としては、酢酸フェニル水銀系農薬の散布に由来するメチル水銀が水田から河川へ流出した可能性が高いことが示唆されます。なお、東京湾のスズキは1973年7月に水銀汚染魚として漁獲等の規制対象となっています(文献を提示できません。筆者の記憶です)。汽水域はスズキの生態系の一部ですし、時には河川を遡上するといいます。農薬由来のメチル水銀に汚染された可能性が高いと考えます。

1998年11月~1999年4月に掛けて、東京湾内(湾奥・湾央・湾口)でシロギス、マコガレイ、およびマイワシを採集し、その総水銀濃度を測定しています(張瑞軍ら,東京湾とその周辺海域における魚の水銀濃度,日衛誌,56,492-499,2001)。総水銀濃度は、シロギス(場所,例数,中央値ppm,範囲ppm;湾奥,30,0.031,0.019-0.089,湾央,30,0.031,0.008-0.092,湾口,30,0.030,0.017-0.062)、マコガレイ湾奥,29,0.045,0.008-0.065,湾央,30,0.016,0.007-0.037,湾口,26,0.019,0.006-0.036)、およびマイワシ湾奥,29,0.027,0.005-0.045,湾口,31,0.011,0.001-0.018)です。1999年の東京湾環境のメチル水銀は、すでに環境レベルに落ち着いています。また、張らの調査では、上記3魚種の体長(X)と総水銀濃度(Y)について回帰式を求めています。各魚種で最大の相関係数が得られた例を記します。シロギス(湾央;Y=0.01X-0.088,r=0.82;p<0.001),マコガレイ(湾奥;Y=0.0030X-0.25,r=0.73;p<0.001),およびマイワシ(湾奥;Y=0.0022X-0.015,r=0.28;p=0.14)であり、東京湾のマイワシは遠距離の移動をしない瀬付きイワシと説明されています(張瑞軍ら,ibid,2001)。マイワシはメチル水銀の生物濃縮において食物連鎖経由が占める割合が小さいことが示されています。

ところで、1999年の鹿児島湾では、シロギス(例数10,算術平均値0.13ppm,最大値0.20ppm)、メイタガレイ(7,0.05,0.06)、およびカサゴ(2,0.35,0.36)の総水銀濃度です(鹿児島衛生研究所年報,2000)。カサゴは2例ですが、その値は水俣湾のそれらと同じレベルです。東京湾産魚類の総水銀濃度と単純に比較すると、鹿児島湾産魚類のそれらが相当に高く、メチル水銀負荷源として桜島海底火山説が正しいようにもみえます。しかし、1974年7月~11月のタチウオ(5,2.89,6.13)の水銀レベルが大幅低下したにもかかわらず、1980年代の桜島の活動が非常活発だったことから、「関連の一致性」は水銀系農薬由来のメチル水銀の減衰の方にあると言えるでしょう。また、鹿児島湾、とくに湾奥はカルデラ地形である上に、西桜島水道(水深40m)が湾奥カルデラで発生する夏季の温度躍層(0~80m)下の湧昇流を遮っていることから、閉鎖性は鹿児島湾(湾奥)が東京湾よりも大きいと推測できます。水域の閉鎖性水銀汚染のひとつの要因であることが期待できます。不知火海もそれなりに閉鎖していますが、水俣湾は不知火海に囲まれた内湾なので、その閉鎖性はかなり強いです。1958年12月までの急性水俣病患者はすべて水俣湾沿岸住民からの発生でした。水俣湾外の不知火海沿岸住民からの急性水俣病患者の初発は、工場廃液の排水が1958年9月から水俣湾内の百間港から水俣湾外に面した八幡プール(水俣市八幡町)への変更後、6か月経った1959年2月のことでした。

 

琵琶湖

横田らが2000年7月10日に近畿大学と共同で琵琶湖(比良沖中央)の水深53m地点から湖底堆積物の柱状採取を行い、その堆積年代を210Pbの層別放射能で推定し、底泥中水銀濃度の経年変動の様態を報告しています(横田喜一郎ら,微量化学物質に関する情報の整理,琵琶湖研究所所報,21,78-84,2003)。また、滋賀県の1963年~1967年における水銀系農薬中水銀の年間出荷量を調べ、水銀系農薬の使用状況を背景として底泥中水銀濃度の変動を説明しています。

湖底堆積物は20 cm柱で、表層が1998年(180 ppb)で最深部が1890年(67 ppb)と記されています。最深部から10 cmまでは1 cmがほぼ5年間で堆積しています。表層から3 cm間は堆積物の重みが掛かっていないらしく、1998年から1979年を示していますが、比重大の水銀負荷が多大だったと考えられる表層から7 cm ~6 cm~5 cmは1960年(227 ppb)~1963年(330 ppb)~1964年(380 ppb)と詰まっています。1944年までは 67~117 ppb(中央値 81 ppb)です。水銀のクラーク数は0.00002%=0.2 ppm=200 ppbですが、琵琶湖の湖底の自然濃度としては 80 ppb位だったと考えてよいでしょう。

実際、琵琶湖沿岸地域に水銀使用工場および水銀鉱山が無いことから、カセイソーダ生産のあった東京湾沿岸の場合とは異なり、ピークは1970年代前半の1969年層(1969年~1978年;346 ppb)になく、1964年層(1964~1968年;380 ppb)にあります。1965年6月(or 5月31日)に公表された新潟水俣病を受け、1966年と1967年に水銀系農薬の使用を抑制するために、農林省は非水銀系農薬使用促進を通達しています〔非水銀系農薬の使用促進について(昭和41年5月6日付け41農政B第802号)(昭和42年5月23日付け42農政B第1072号)〕。また、水銀系農薬の空中散布は1968年に禁止されました。水銀系農薬の実質の生産中止は1968年末で、販売と実質の輸入禁止は1973年10月です(*3)。水銀系農薬の販売および実質の生産・輸入は禁止されましたが、使用禁止は販売(・生産・輸入)の禁止措置に伴う間接的なものでした。2003年3月の農薬取締法改正によって初めて水銀系農薬の使用による罰則が規定されましたが、それまでは罰則がないので、手持ちの水銀系農薬は使用していたと考えられます。

(*3);農薬は登録制です。登録されていない農薬は無登録農薬と呼ばれ、2003年の農薬取締法改正までの法令上は「販売禁止」だけだったようです。実際、水銀系農薬が環境へのメチル水銀負荷源と気付いてからの行政措置は、「非水銀系農薬の使用促進」⇒「空中散布の禁止」と、その進み具合(計画)は農薬製造業者の都合に合わせた予定表といってよいでしょう。そこで水銀系農薬の生産が必然的にほぼ中止されました(上記した1968末の製造禁止は「法」改正ではなく、実際に生産を中止せざるを得なかったということです)。有明海第三水俣病問題が1973年5月22日に報道されたことと、その年の10月に販売・輸入の禁止(実質は農薬登録外措置)が連動しているように見えますが、偶然だったのではないかと思います。2003年の法改正は、2002年に無登録農薬の殺菌剤「ダイホルタン」が山形のサクランボ栽培に使われていたことが判明し、大量のサクランボが廃棄されたことが発端だったとの記憶です。東大の農場で酢酸フェニル水銀系農薬が種モミの殺菌に使われていたことが2008年に報道されました。使用したのは1997~1999年、および2004~2008年でした。2003年以降は罰則付き使用禁止だったので、農場長(教授)は2か月の停職、部下5人は諭旨解雇と処断されたようです。

琵琶湖底泥水銀濃度は1955~1959年層と1988~1994年層が同じレベルであり、1955~1959年層(208ppb)から1964~1968年層(380ppb)までの172 ppbの増加に13年間を要ししています。一方、1964~1968年層(380ppb)から1988~1994年層(206ppb)までの174 ppbの減少に、30年間掛かっています。

横田らは滋賀県における1962年から1967年の年間当たりの水銀系農薬の出荷量をHg量で報告しています(横田ら,ibid. 2003)。1962年;1854(Hg・kg/年),63年;2559,64年;2969,65年;3448,66年;2854,67年;4310です。1966年の非水銀系農薬の使用促進通告によって水銀系農薬の出荷量が減っています。しかし、1966年の米収穫量が思わしくなかったのか、あるいは水銀系農薬の購入が出来なくなるとの予測があってのその確保の為か、翌1967年には1965年の1.25倍(1966年の1.5倍)の出荷量になっています。出荷量はそのまま使用量ではありません。セレサン石灰の使用量は10㌃当たり3 kg【酢酸フェニル水銀量では12.6 g=3000 g×0.0042⇒水銀量では7.5 g=12.6 g×200.59(Hg分子量)÷336.734(酢酸フェニル水銀分子量)】が推奨量です。出荷の最終年が1967年とすると、5,746,700㌃ = 57,467㌶の水田への散布推奨量になります。滋賀県の昭和45(1970)年度の水田面積は65,700㌶でした(しがの農林水産業 平成28年度,滋賀県)。滋賀県の全ての水田に酢酸フェニル水銀系農薬が散布されてはいなかったようです。自家消費用の水田には撒かなかったのでしょうか?

このように稲イモチ病対策の水銀系農薬の経年的な散布の有無の直接的確認はできません。琵琶湖底泥水銀の変動は、表層から4cm(1969年;346ppb)、3cm(1979年;262ppb)、そして2cm(1988年;206ppb)、と示されています。1963年から1964年の1年間に50 ppb(380-330;1.15倍=380/330,出荷量比 = 1.16= 2969/2559)上昇し、1964年から1969年の5年間に34ppb(380-346)低下し、1969年から1979年の11年間に84ppb(346-262)低下し、1979年から1988年の10年間に56ppb(262-206)低下しています。琵琶湖周辺の水田から各河川水(流入河川数は119)により湖内へ運ばれる水銀量が急激にではなく徐々に減少したことを示唆しています。したがって、水銀系農薬散布使用量もまた徐々に減ったと考えられます。琵琶湖の水は唯一南端の瀬田川から宇治川⇒淀川となり大阪湾に流れ出ています(人工的には琵琶湖疏水も流出経路ですが、京都市の水道水源でもあり、懸濁物は流れ出るでしょうが、土砂の流出は限定的だと思われます)。したがって、琵琶湖への119の河川水によって運ばれた水銀系農薬が直線的に瀬田川水系に向かうとは考え難く、それらが未だ湖底に堆積したままだと考えます。

2014年の琵琶湖産ビワコオオナマズに0.856 ppm、ふつうのナマズマナマズ?)に0.42 ppmの総水銀が含まれていたという記事がありました(AERA,2014.3.17)。筆者は琵琶湖湖底の残留水銀のメチル化がその負荷源だと考えます。記事では水銀負荷源は中国から飛来する石炭燃焼に伴う水銀としています。記事中の研究者が主張する因果関係の評価は「関連性の一致性」として全国の山岳地帯で中国からの飛来浮遊物質由来の水銀が計測されていることを挙げていますが(AERA,ibid)、水銀汚染魚の存在が中国からの飛来水銀によるのであれば、「関連性の一致性」は琵琶湖以外の各地の湖沼にも水銀汚染魚が存在していることを示すことでなければなりません。中国で燃焼させた石炭由来の水銀というのであれば、先ず中国本土の水銀汚染(閉鎖系湖沼の魚介類の水銀レベル)が尋常ではないことを示して「関連の強固性」の評価をするべきでしょう。環境系の研究者から疫学的思考が飛散すると悲惨な結論が産みだされるように思います。

現役の水銀・環境研究者の脳裏から、全国で水銀系農薬が大量散布されたという事実が消え去っているのでしょうか。確かに、水銀系農薬のことを持ち出せば、研究費の獲得は望めないでしょう。結局、水銀系農薬の環境汚染に関しては、世間の藻屑となっているのかもしれません。それでも海生研OB会の皆様に伝わっていることを考えると、海生研OB会HPの管理人氏に足を向けて眠れません。鹿児島からは北方向の枕になります。北枕になってしまわないうちに、「農薬水俣病」を含めて、まだまだ投稿していくつもりです。

2 thoughts on “我が国におけるメチル水銀汚染-第六章 東京湾・琵琶湖(閉鎖系水域)

  1. MOMO

    最近、投稿のペースが上がりましたね。
    &oさんの投稿でこのサイトのアクセス数が週150ほどになっています。
    この数字は、リンクを貼らない単独テーマのサイトとしては、驚異的な数字です。
    &oさんの執念ていうか、持論をさらに展開することを期待しています。

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    1. tetuando

      非常勤先の看護学校では「海生研OB会HP」に&o説を記しています、と宣伝はしていますが、アクセス数がそんなにあるとは、びっくりです。というのも、メチル水銀汚染の農薬説は、学会ではほぼ無視されます。セレサン石灰の水銀である酢酸フェニル水銀からメチル水銀は生成しないという「Nature」論文があります。実験で示しているのだから、また「Nature」だから世間一般には「正しい」と判断されるのはもっともです。しかし、セレサン石灰は消石灰(水酸化カルシウム)とタルク(シッカロール)が基剤です。投稿済のセレサン石灰のところに記したように、酢酸フェニル水銀からのメチル水銀の生成・副生は条件次第です。セレサン石灰の晴天下(紫外線下)の空中散布のメチル水銀濃度を論文に載せる機会はないでしょう。疫学的には、全国でメチル水銀汚染が発生していたという「関連の一致性」を示すことができるのが、水銀系農薬の散布だけであることを、世間が認めるまで、&oの執念は衰えさせないつもりです。なお、投稿のペースが上がったのは、大学(保健学科)での客員研究員がこの3月31日で消滅するのと大いに関係しています。4月以降の投稿ペースは落ち着いてしまうことでしょう。

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