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酢酸フェニル水銀系農薬によるメチル水銀汚染 -1952~1961年における鹿児島県各地域の出生数と死産率の変動について-

我が国の稲作においてニカメイチュウの退治、および稲イモチ病の予防と治療によって収穫量を確保することが重要課題でした。ニカメイチュウの駆除として有機塩素系および有機リン系農薬を使用することで満足な効果が得られました。一方、稲イモチ病対策としての水銀系農薬(商品名 セレサン石灰,主剤 酢酸フェニル水銀)の散布が1953年に始まり、2年後の1955年には全国的に普及しました。実際、1954年に5800万石だった米石高が1955年には8000万石という大豊作を得て、水銀系農薬散布が稲作には切っても切り離せない技術・農作業という意識・認識が出来上がったようです。米石高の安定的確保をもたらした各種農薬散布でしたが、初夏の風物詩である「ホタルの乱舞」があっという間に衰退したように、水田を取り巻く小河川において生態系の異常が発生しました。その後、食生活の欧米化によるパン食の定着に伴う米飯離れによって引き起こされた余剰米の問題を解決するため、減反政策が推進されました。暫くの時を経て、再び「ホタルの乱舞」が山里に近い小河川で見られるようになりました。まさに、「ホタルの乱舞」の衰退が様々な農薬散布によって引き起こされていたことの説明となっています。

ところで、水銀系農薬は7月下旬から9月上旬に集中して散布されました。夏季の水田では、稲の生育保護のため午前中に水を抜き(昼間の稲の茎・根の過熱防止)、夕方に水を溜める(夜間の稲の茎・根の保温)という潅水(河川水中ミネラルの追加による肥料効果→生育強化としても重要な農作業)が行われます。大量の水を使う潅水によって水田に散布された水銀系農薬の一部が、用水路、小河川、および河川を通して河口海域に運ばれたはずです。そのため、水銀系農薬散布による稲イモチ病対策が行われていた時、夏季の河口海域においてはそれらの散布量に比例したメチル水銀の負荷が生じ、そのような河口海域に生息する魚介類がメチル水銀に汚染されたことが示唆されます。今回、筆者は水銀系農薬散布によって夏季の魚介類のメチル水銀レベルが上昇し、それを多食した妊婦における出生数および死産数への影響について統計学的に検討しました。

鹿児島県の人口動態統計から、市町村別、あるいは保健所管内別の、さらに年度別および月別の出生数および死産数を得ました。1952年(s27)から1961年(s36)までの出生数および死産数については市町村別の集計でした。1954年の死産数は欠損していました。1962年からは出生数は保健所管内別に記載されていましたが、死産数の記載は中止されていました。なお、鹿児島県全体の出生数および死産数については1953年12月25日の奄美群島市町村の本土復帰による変動を避けるため、1954年度からは奄美群島市町村のそれらを差し引いたものを利用しました。対象地を鹿児島県、鹿児島市、姶良市郡(国分市・隼人町・加治木町・姶良町・溝辺町・蒲生町など)、および出水市郡(出水市・阿久根市・高尾野町・野田町・東町・長島町)としました。

 統計解析は主に重回帰分析を行い、有意水準は5%未満としました。各月の出生数を従属変数とする重回帰分析では、観察期間を1952年から1961年の10年間とし、説明変数(時間)として水銀系農薬の散布普及前の1955年7月まで(pest=0),その8月以降の普及後(pest=1),1952年からの経年(y0;1952年=0,1953年=1............ 1960年=8,1961年=9),さらに水銀系農薬散布の普及後の経年変動(pest×y0)を用いました。また、1月から12月の各月を共変数(各月=0,他月=1,m1, m2, m3, m4, m5, m6, m7, m8, m9, m10, m11, m12)としました。なお、出水市郡の場合、工場廃液の排出先;八幡プール(hati2;1958年8月まで=0,その9月以降1960年1月まで=1,その2月以降=0)、および工場廃液排水先;百間港への再変更(rehya;1959年10月まで=0,その11月以降=1)を説明変数として追加しました。

死産の変動については、出生数および死産数が得られたことから、算出した死産率【(死産数÷(出生数+死産数))×1000】を従属変数とする重回帰分析を行いました。説明変数および共変数については出生数の重回帰分析に準じています。

平均人口13万人の出水市郡の10年間の観察期間における月平均出生数±標準偏差は235±61人です。各年別の平均の月出生数は、s27- 329人, s28- 290人, s29- 271人, s30- 206人, s31- 195人, s32- 234人, s33- 227人, s34- 215人, s35- 206人, s36- 176人です。観察初年度329人の出生数が最終年度176人と10年間で出生数はひと月当たり153人減少しました。また、s30年およびs36年の出生数が前年から大きく減少しています。次に、s27~36の平均の月出生数は、1月- 324人, 2月- 263人, 3月- 209人, 4月- 253人, 5月- 202人, 6月- 188人, 7月- 231人, 8月- 234人, 9月- 233人, 10月- 224人, 11月- 223人, 12月- 237人です。1月、2月、および4月の出生数が多く、6月、5月、および3月の出生数が少ないです。

出水市郡の出生数の変動を重回帰分析で検討しました。出水市郡の出生数は多い順に1月>2月>4月>12月>8月>9月>11月>10月>3月>5月>6月でした。月別の差を調整すると、1952年から1955年までの水銀系農薬散布の普及前は経年的に毎月36.4人減少し(p<0.001)、1955年8月以降の水銀系農薬散布の普及後には毎月133人減少し(p<0.001)、その普及後の経年的には毎月4.0人(-36.4+40.4)増加しました(p<0.001)。計算上1957年の各月の出生数は、1955年のそれらと比較すると、125人(-133+4×2)減少しました。また、1957年9月からの工場廃液の排水先が八幡プールへの変更後に毎月5.4人減少しましたが有意ではなく(p=0.587)、1960年2月からのその排水先の百間港への変更後に毎月37.8人減少しました(p=0.013)。ところで、受精卵の着床抑制による出生数減少が5月・6月に現れ、死産の発生による出生数減少が水銀系農薬の散布が行われる7月・8月に現れると予想しました。そこで、観察期間を5月から8月の4か月間に限定して重回帰分析を行いました。 

5月から8月までの4か月間の出生数では、5月・6月が7月・8月よりも有意に39人少ない出生数でした(p<0.001)。月別出生数を調整すると、出生数は1952年から1955年までは経年的に毎月31.7人減少し(p<0.001)、1955年8月以降の水銀系農薬散布の普及後には毎月190.8人減少しました(p<0.001)。また、その普及後の経年的には毎月17.9人(-31.7+49.6)増加しました(p<0.001)。さらに、1957年9月からの工場廃液の排水先が八幡プールへの変更後に、毎月35.5人減少する傾向にあり(p=0.052)、1960年2月からのその排水先の百間港への変更後に毎月86.4人減少しました(p=0.001)。計算上1961年の5~8月の各月の出生数は、1955年のそれら(5~8月の各月の出生数)と比較すると、205.3人(-190.8+17.9×6-35.5-86.4)減少しました。観察期間を年間を通した1月~12月の場合と水銀系農薬散布の影響が大きかったと予想した5月~8月の4か月間に限定したことで、どの要因(説明変数)に関わる従属変数(出生数)の変動幅が、前者より後者で大きくなり、それぞれt値も大きくなりました()。排水先が八幡プール、百間港のどちらであっても、工場廃液由来のメチル水銀は一年中不知火海に多かれ少なかれ負荷していたことは客観的事実ですが、この5月~8月という観察期間に特異的に出生数が変動しました。したがって、5月~8月の4か月間に水銀系農薬の散布が直接的に出生数に影響しており、正に、水銀系農薬散布に由来するメチル水銀が出水沖の不知火海に相当量負荷したことが示唆されます。その上で、工場廃液が直接不知火海に排出された期間における出生数の変動は減少傾向に止まりました。(*);t値が大きくなると偶然に出現する確率が小さくなります。すなわち、両者に差が無いという命題に反し、両者に差が有るという確率が高くなることを示します。

不知火海における潮の流れの基盤は対馬海流であり、主流は八幡プールから北東に向かいます。それでも梅雨時や台風期における水俣川(八幡プールは水俣川河口に隣接しています)の増水によって工場廃液が、河川水に乗って熊本県天草・御所浦島に向かい、その後南西(すなわち鹿児島県獅子島・長島→出水沖)に転向する流れがあります。そのような潮の流れは、それなりの時間を経過して出水沖に到達するでしょう。実際、1958年9月に工場廃液を八幡プールから排出してから10か月経過した1959年6月に出水市(出水市郡地区の中では最北東部にあり・八幡プールから11km南西に位置します)で急性水俣病患者が初発し、続いて8月と9月に1人ずつ発生しました。出水市沖の環境中メチル水銀レベルが相当に高かったことが示唆されます。一方、工場廃液の主流先の津奈木町(八幡プールから5km北西に位置します)からの急性水俣病患者は、1959年9月と10月に2人ずつ発生しました。工場廃液の地域的流出割合は調べられていませんが、カタクチイワシの回遊割合からすると北西の津奈木・芦北方面が主流です。工場廃液が単独のメチル水銀負荷源だとすると、急性水俣病患者の時間分布で津奈木町で出水市より発生が遅いことを説明出来ません。ただし、津奈木の急性水俣病患者の発生が9月および10月という時間分布は、水銀系農薬の散布後という水銀系農薬がメチル水銀負荷源とする因果関係の時間性が確保されています。一方、その地理分布では津奈木町4人>出水市3人なので、工場廃液の主流が北西(津奈木・芦北)方向であることを説明しています(因果関係の整合性)。不知火海へ負荷したメチル水銀が工場廃液単独ではなく、水銀系農薬由来のメチル水銀が加わっていたことが明らかになったと言えるでしょう。

次に鹿児島湾奥に位置する人口20万人の姶良市郡の出生数の変動について重回帰分析を行いました。姶良市郡の各年の月毎出生数(年,出生数);27- 473, 28- 443, 29- 424, 30- 353, 31- 375, 32- 344, 33-332, 34- 313, 35- 278, 36- 253, 37- 233, 38- 235, 39- 228 、s27~s39の各月出生数(月,出生数);1月- 482, 2月- 361, 3月- 323, 4月- 350, 5月- 308, 6月- 271, 7月- 296, 8月- 319. 9月-356, 10月- 318, 11月- 313, 12月- 286です。姶良市郡の出生数は1月>2月>4月>9月>3月>8月>11月>10月>5月>7月>12月>6月の順に多いでした。出水市郡の月別出生数と比較しすると12月の出生数が少ない特徴がみられました。1952年から1961年までを観察期間とした場合、月別の差を統計的に調整すると、1952年から1955年までの水銀系農薬散布の普及前は経年的に毎月37.3人減少し(p<0.001)、1955年8月以降の水銀系農薬散布の普及後には毎月26人減少する傾向にあり(p=0.077)、その普及後の経年的には毎月21.5人(-37.3+15.8)減少しました(p=0.002)。計算上1957年の各月の出生数は、1955年のそれらと比較すると、69人(-26.0-21.5×2)減少しました。

姶良市郡については、次に、観察期間を1964年まで3年間延ばした場合の重回帰分析を行いました。月別の差を統計的に調整すると、1952年から1955年までの水銀系農薬散布の普及前は経年的に毎月36.9人減少し(p<0.001)、1955年8月以降の水銀系農薬散布の普及後には毎月41.4人減少し(p=0.001)、その普及後の経年的には毎月23.6人(-41.4+18.0)減少しました(p<0.001)。観察期間の長短に関わらず出生数における月別の差は12月のそれらを基準として算出されました。観察期間が3年延びたことによって、12月と各月との差の幅は、6月を除き、それぞれ縮小していました。12月と6月の出生数の差は、1961年までの観察期間では12.7人でしたが、1964年までと3年延ばすと、13.6人とわずかだが広がりました。出生に関わる環境変動が特異的に6月に発生した可能性は否定できないでしょう。6月の出生数減少に関わる事象として8月・9月の着床抑制を挙げた場合、わずか3年間で夏季の鹿児島湾奥の環境中メチル水銀レベルが上昇した可能性を問うことが出来るでしょう。実際、観察期間の延長は水銀系農薬散布の普及前ではなく普及後の3年です。それらの散布普及前の出生数の経年変動は、観察期間を延ばしたことでわずか0.4人(37.3-36.9)だが縮小しました。一方、それらの散布普及後のその経年変動は2.1人(21.5-23.6)と減少幅が増し、それらの散布後の出生数の減少幅は15.4人(26.0-41.4)拡大しました。したがって、観察期間を3年間延ばしたことによる回帰係数の変容が水銀系農薬散布の普及によって起こった可能性が高いことを支持しています。カルデラ地形の鹿児島湾奥における夏季の温度躍層の出現によって8月・9月の環境中メチル水銀レベルの上昇が増強されたことが示唆されます。

人口180万人の鹿児島県における1952年から1961年の出生数の変動を、重回帰分析を用いて検討しました。鹿児島県の出生数は、1月>4月>2月>9月>10月>8月>11月>12月>3月>7月>5月>6月の順に多かったです。1952年から水銀系農薬散布の普及前まで、出生数は経年的に毎月217.2人減少しました(p<0.001)。しかし、その普及後は経年的に毎月186.4人(-217.2+30.8)減少しましたが有意ではありません(p=0.362)。また、水銀系農薬散布の普及後に16.1人減少しましたが有意ではありません(p=0.873)。鹿児島県においては水銀系農薬散布の普及が出生数の変動に影響したことは示せませんでした。

坂本ら(2001)は1955~1959年の熊本県の人口動態統計から、メチル水銀に汚染された水俣湾の魚介類を多食した水俣湾沿岸住民の妊婦に死産が多発したことを報告しています。坂本ら(2001)は、男児に偏った死産が発生し、通常時の出生性比である105~106が、出生数4550人の内訳;♂2238/♀2312で算出された97に低下したと報告しました。一般的な死産発生の原因のほとんどは母側の病態による胎児への血流の滞りが知られています(90%以上;全国の死産統計より)。母へのメチル水銀の高濃度曝露によって母体血の胎盤への血流が滞ったのであれば、確かに死産は頻発したでしょう。しかし、胎児への血流の滞りによる死産の発生であれば、胎児の性に依存したとは考えにくく、死産性比は105~106に近似したと予想できます。しかし、実際の死産性比は173(死産数216人:♂137/♀79)であり(坂本ら,2001)、この死産性比173は、胎盤への血流が極端には滞らなかったことを説明しています。正に、母への高濃度のメチル水銀曝露によって胎盤において血液胎盤関門が機能せず、母体血のメチル水銀が胎盤に止まらず胎児に移ったと考えられます。メチル水銀中毒による死産が男児に女児より多く発生したことから(死産性比173)胎児におけるメチル水銀感受性は明らかに男児に女児より高いと言えるでしょう。

 死産数は死産届(妊娠12週以降の流産・死産は届け出る)の統計です。出生届で得られた出生数に死産届で得られた死産数を加えて算出した期待出生性比は99【(137+2238)/(79+2312)→2375/2391】で、正常値105~106と比べかなり低いです。死産届の対象でない妊娠11週までの自然流産が頻発したことが予想されます。妊娠・受精卵の一部に、妊娠11週までの流産(80%)、12週~21週の死産(周産期:妊娠22週以降に含まれない死産;11%)、22週~28週の死産(4%)、29週~43週の死産(5%)が発生し、出生まで至らないことが知られています。いわゆる流産(11週まで)が死産の4倍(80%÷20%)発生しています。ここで、妊娠11週までの流産でも水俣の死産と同じ173の流産(死産)性比だったとして算出した男女別の流産数を加え、これらの流産・死産が発生しなかったとして期待される出生性比は、(137×5+2238)/(79×5+2312)→2923/2707≒108と算出できます。正常値よりやや高いです。着床後(妊娠2週以降)の胎盤形成後の胎児にはメチル水銀感受性に女児より男児に強い性差があり、水俣では、妊娠12週以降の死産性比173と同等であったことが予想されます。一方、受精後1週間内で発生する着床抑制であれば、受精性比と同等の性比が期待できるでしょう。105~106と同等と考えられます。妊娠11週までの流産の1/5が受精後1週以内の着床抑制による流産として期待出生性比を算出すると、(116+137×4+2238)/(110+79×4+2312)→2901/2738≒106であり、通常の出生性比が得られます。したがって、坂本らの「死産が男児に偏ることで出生性比が女児に偏る」という示唆は、メチル水銀に汚染されていない現在の流産と死産の発生割合からの算出であれば、ほぼ言い当てているようです。しかし、メチル水銀の汚染下で過剰発生したと予想した死産(届)数と同数程度の妊娠1週までの着床抑制、および死産届の4倍程度あったとする妊娠2週から11週までの流産を無視することは出来ないでしょう。

 1952~1961年の平均人口27万人の鹿児島市での毎月の平均出生数は450人でした。また、水銀系農薬散布の普及後に毎月40人の出生数減(8.9%;40/450)がありました。一方、人口13万人の出水市郡の1952~1955年の平均出生数は274人であり、水銀系農薬散布の普及後に135人の出生減(49%;135/274)がありました。すなわち、出水市郡で鹿児島市の5.5倍の出生数減がありました。出水市郡に特異的な出生減の原因として8月・9月の出水沖不知火海がメチル水銀で濃厚汚染され、漁獲された魚を多食した妊婦における受精卵の着床抑制が過剰発生し、5月・6月の出生数が過減少したと予想しました。一方、7月・8月は水銀系農薬の主な散布時期です。そこで、出水市郡でも水俣と同様にメチル水銀汚染によって死産数(死産率)が増加した可能性を考えました。(死産数/(出生数+死産数))×1000で算出される死産率は、人口規模が調整されます。そこで、死産数ではなく人口が調整される死産率の変動を検討しました。鹿児島県各市町村の年月別の死産統計資料は1961年までの記載に止まっていました。なお、1966年および1967年に農林省は水銀系農薬の使用を止め、非水銀系農薬への切り替えを要請しています。そのため今回の統計解析では水銀系農薬の使用中止後までの観察が出来ませんでした。

鹿児島県の月別死産率は高い順に、3月>7月>6月>8月>5月>9月>10月>2月>11月>12月>4月>1月です。水銀系農薬散布による河口周辺海域のメチル水銀汚染が8月から始まると予想されますが、鹿児島県において月別死産率が最も高いのは3月であり、水銀系農薬散布との関連は考え難いです。重回帰分析による鹿児島県の死産率の変動は、1952年から経年的に毎年2.0上昇し(p=0.032)、1955年8月以降は、経年的に2.3(2.0+0.3)上昇しましたが有意ではありません(p=0.783)。水銀系農薬散布の普及前後(1955年7月までと1955年8月以降と)で11.1低下しました(p<0.001)。鹿児島県の死産率は経年的に上昇しました。水銀系農薬散布の普及によって環境中メチル水銀負荷量が増え、死産率は上昇すると予想しました。しかし、鹿児島県の死産率は有意に低下しました。鹿児島県において不知火海と鹿児島湾は閉鎖系海域ですが、その鹿児島県全土に占める割合が高くはありません。したがって、鹿児島県において水銀系農薬散布に由来するメチル水銀が影響する水域割合が小さいことを反映した結果だったのかもしれません。

 鹿児島市の月別死産率は高い順に、5月>6月>4月>7月>3月>9月>8月>2月>11月>10月>12月>1月です。4月の死産率が鹿児島県と比べ鹿児島市に極めて高いですが、1月のそれは鹿児島県と同様に最小ですがそれほど低くありません。これらの事象が鹿児島県の人口の10分の1を占める鹿児島市の中心都市の特徴によってもたらされたと考えられますがはっきりしません。鹿児島市の月別死産率は5月・6月に高い。5月・6月は水銀系農薬散布時期ではないことから、それらが5月・6月の死産に影響したとは考え難いです。重回帰分析による鹿児島市の死産率は、1952年から経年的に毎年7.4低下しました(p=0.016)。水銀系農薬散布の普及前後(1955年7月までと1955年8月以降と)で60低下しましたが(p<0.001)、1955年8月以降には経年的に毎年4.9(-7.4+12.3)上昇しました(p<0.001)。鹿児島市の死産率は、水銀系農薬散布の普及後に低下し、経年的に低下しましたが、水銀系農薬散布の普及後には上昇しました。水銀系農薬散布の普及によって環境中メチル水銀曝露量が増すことで死産率が上昇するとの仮説ですが、鹿児島市の死産率は有意に低下しており、鹿児島市の死産率に、水銀系農薬散布による環境へのメチル水銀負荷の影響があったと説明することは難しいです。しかし、水銀系農薬散布の普及後の経年的な4.9の死産率の上昇に目をやれば、水銀系農薬散布による環境へのメチル水銀負荷が死産率を上げたと説明出来るかもしれません。

 姶良郡市(鹿児島湾奥地域)の月別死産率は高い順に、8月>9月>12月>3月>5月>10月>7月>6月>11月>2月>1月>4月です。12月の死産率が鹿児島県と比べ姶良市郡に極めて高いのですが、6月および7月のそれらは鹿児島県および鹿児島市と比べてかなり小さいです。姶良市郡における月別死産率の高い月が8月・9月であり、姶良市郡の水銀系農薬散布が8月中心ならば、6月・7月の死産率が低いことも加わって、死産の発生にそれらが影響した可能性は否定できません。重回帰分析の結果、姶良郡市の死産率は、1952年から経年的に毎年6.2上昇しました(p=0.017)。1955年8月以降には1955年までの経年的上昇をほぼ相殺する低下があり【0.07(6.21-6.78),p=0.023】、経年的な変動はほとんどありません。鹿児島県、および鹿児島市では、水銀系農薬散布の普及後に死産率が有意に低下しましたが、姶良市郡ではその普及前後(1955年7月までと1955年8月以降と)に死産率は有意ではないがわずかに上昇しました(p=0.993)。また、死産率が8月・9月に高く、6月・7月に低かったことを考慮すれば、鹿児島湾奥における水銀系農薬散布の環境への影響について詳細に検討すべきでしょう。ところで、姶良市郡では観察期間が1952年から1961年までの場合、水銀系農薬散布の普及後の出生数は減少しますが有意ではありませんでした。しかし、観察期間を3年間延ばし1964年までとすると水銀系農薬散布の普及後の出生数は有意に低下しました。カルデラ地形の鹿児島湾奥では夏季の温度躍層の形成に伴う海水の垂直循環の滞りという特徴があり、河川水から湾奥に流入した農薬由来のメチル水銀の停滞が折り重なったことが示唆されます。実際に、本研究の観察期間から十数年後の1970年代前半の鹿児島湾奥の海水中メチル水銀は汚染レベルでした(Ando et al, 2010,安藤, 2012)。姶良市郡における死産数の水銀系農薬散布による影響についての検討には観察期間の延長が必要だと思いますが1962年以降の死産数の記載はありません。今後、姶良市郡の死産数の統計を入手することで、改めて死産数を調整した出生数の変動についての統計学的解析を果たしたいと思います。

出水郡市の月別死産率は高い順に、5月>3月>8月>9月>6月>7月>10月>2月>11月>1月>4月>12月でした。重回帰分析による出水郡市の死産率の変動は、1952年から経年的に毎年9.3上昇しましたが(p=0.013)、1955年8月以降には経年的に毎年4.7(9.3-14.0)低下しました(p=0.003)。また、水銀系農薬散布の普及前後(1955年7月までと1955年8月以降と)で42.1上昇しました(p=0.013)。工場廃液の直接的不知火海への放流による死産率への影響は、有意ではありませんが1.8上昇しており(p=0.816)、その上昇幅は、水銀系農薬散布の普及後の経年的死産率の低下分を幾分相殺しています。工場廃液由来のメチル水銀の出水郡市沖の不知火海環境への影響が大きくはないが影響している可能性があることが示唆されます。また、百間港への工場廃液の排水先再変更後に死産率は、有意ではありませんが12.7上昇しました(p=0.282)。

工場廃液が直接不知火海へ放出されたのは14か月間です。死産率に対する工場廃液の2つの排出先の影響は、不知火海への直接的な放出開始時からの14か月間ではわずかに1.8の上昇に過ぎません。しかし、不知火海への直接的な放出が止まってから(本来、工場廃液の不知火海環境への直接の曝露は無いはず)の観察期間27か月間で12.7上昇しました。工場廃液の不知火海への直接の放出が直ぐに死産率を上昇させていません。しかし、不知火海への工場廃液の放出が連続することで不知火海の環境中メチル水銀濃度が徐々に上昇したのは事実でしょう。そのような環境に水銀系農薬由来のメチル水銀が加わることで、工場廃液放出の停止後も工場廃液由来のメチル水銀の大部分が閉鎖系海域である不知火海に留まったことが示唆されます。水銀系農薬の散布が7月・8月に行われたことで、それらの死産率への影響に季節差があると考え、季節別(1月~4月,5月~8月,および9月~ 12月の3季節群とした)に重回帰分析を行いました。

1月~4月間の死産率は、水銀系農薬散布の普及前には経年的に15.3上昇し(p=0.001)、普及後には5.3(15.3-20.6)低下しました(p=0.002)。また、水銀系農薬散布の普及後に57.3上昇しました(p=0.030)。また、工場廃液の直接的不知火海への放流による死産率への影響は6.7低下し、その後、工場廃液の排水先が百間港に戻った後に1.6上昇しましたが、ともに有意ではありません(p=0.544 and p=0.924, respectively)。水銀系農薬散布の普及後に死産率が有意に上昇しましたが、1月から4月は水銀系農薬の散布時期ではないことから、その理由を水銀系農薬散布の影響とは考え難いです。

5月~8月間の死産率は、水銀系農薬散布の普及前には経年的に2.1上昇しましたが有意ではありません(p=0.736)。その普及後には経年的に14.1(2.1-16.2)低下する傾向にありました(p=0.086)。また、水銀系農薬散布の普及後に82.8上昇しました(p=0.025)。一方、工場廃液の直接的不知火海への放流による死産率への影響は有意ではありませんが20.9上昇し(p=0.309)、その後、工場廃液の排水先が百間港に戻った後に60.1上昇しました(p=0.034)。したがって、5月から8月の間、水銀系農薬散布によるメチル水銀負荷量の増大に加え、工場廃液由来のメチル水銀が加わって死産率が上昇した可能性が高いことが示唆されました。食糧供給の確保が期待される水銀系農薬散布によって出生数が増え、さらに死産数が減れば、死産率は低下します。実際、水銀系農薬散布後の死産率の低下幅は1月~4月の20.6に対し5月~8月の16.2と後者の方が小さいです。すなわち、水銀系農薬散布期間が含まれる5月~8月の方が、それらの散布時期を含まない1月~4月よりも死産率の低下幅は小さく、5月~8月の方が1月~4月より食糧の安定的確保による死産率の低下効果が小さく、一方で、水銀系農薬散布に由来するメチル水銀の負荷(曝露)による死産率の上昇影響は5月~8月の方に偏り、1月~4月に極めて小さかったことが予想できます。死産率への水銀系農薬散布の影響は、食糧の安定的確保による低下とメチル水銀の負荷による上昇の相加的効果かもしれません。

9月~12月間の死産率に有意の変動は見られませんでした。水銀系農薬散布の普及前には経年的に16.3上昇し(p=0.361)、普及後にはわずかに0.7(16.3-17.0)低下し(p=0.358)、水銀系農薬散布の普及後に20.4上昇しました(p=0.426)。また、工場廃液の直接的不知火海への放流による死産率への影響は6.3低下し(p=0.607)、その後、工場廃液の排水先が百間港に戻った後は1.6上昇しました(p=0.938)。それ故、9月から12月の間は、水銀系農薬散布の普及および工場廃液ともに死産率への影響は小さかったと考えました。

死産率の変動が出生数に影響したことが予想されることから、死産数を説明変数として追加し3季節別に重回帰分析を行いました。なお、死産数を説明変数として使用し、出生数が含まれる死産率(【死産数÷(出生数+死産数)】×1000)を避けました。

1月~4月の死産数を調整した場合、出生数は、水銀系農薬散布の普及前には経年的に45.9人減少し(p<0.001)、普及後には9.1人(-45.9+55.0)増加しました(p<0.001)。また、水銀系農薬散布の普及後に158.9人減少しました(p=0.007)。工場廃液の直接的不知火海への放流による出生数は有意ではありませんが10.0人減少し(p=0.686)、その後、工場廃液の排水先が百間港に戻った後に有意ではありませんが52.6人減少しました(p=0.161)。

5月~8月では、死産数が1人増えれば出産数が1.3人減る傾向にありました(p=0.058)。そのような死産数を調整した【調整しない】場合、出生数は、8月に比べ7月、5月、および6月にそれぞれ10.8人(p=0.276)、39.8人(p<0.001)、および55.9人(p<0.001)少ないが【8月に比べ7月、5月、および6月にそれぞれ7.1人(p=0.472)、35.8人(p=0.001)、および50.2人(p<0.001)少ないが】、水銀系農薬散布の普及前には経年的に38.3人【31.7人】減少し(p<0.001)【p<0.001】、普及後には16.3人(-38.3+54.6)【17.9人(-31.7+49.6)】増加しました(p<0.001)【p<0.001】。また、水銀系農薬散布の普及後に189.3人【190.8人】減少しました(p<0.001)【p<0.001】。工場廃液の直接的不知火海への放流によって出生数は34.2人【35.5人】減少し(p=0.048)【p=0.052】、その後、工場廃液の排水先が百間港に戻った後に80.3人【86.4人】減少しました(p=0.001)【p=0.001】。2度の工場廃液の排水先変更が、それぞれ出生数を有意に減少させています。したがって、5月~8月の出水沖不知火海環境中に、工場廃液の八幡プールからの排出中には、水銀系農薬由来のメチル水銀に工場廃液由来のメチル水銀が加わったこと、さらに、百間港への再変更後には、その両者のメチル水銀の残留と水銀系農薬由来のメチル水銀が加わったことが示唆される。観察期間として水銀系農薬散布時期を含む5月から8月とし、その期間に発生した死産数を調整したことで、水銀系農薬散布が出生数を減少させる原因だったことがより明らかになった。なお、死産数を調整しない場合の月別の出生数の差が死産数を調整した場合により大きくなったことから、5月・6月の出生数が減少する理由のほとんどが、死産数の増加ではなく、受精卵の着床抑制の過発生である可能性が高いです。

9月~12月の死産数を調整した場合、出生数の有意の変動は、水銀系農薬散布の普及後の93.0人の減少に限定されました(p=0.001)。その他の要因による有意の変動はありませんでした。水銀系農薬散布の普及前には経年的に29.2人減少し(p=0.119)、普及後には7.1人(-29.2+22.1)減少しました(p=0.252)。また、工場廃液の直接的不知火海への放流によって15.0人増加し(p=0.244)、その後、工場廃液の排水先が百間港に戻った後に10.0人増加しました(p=0.634)。9月~12月の出生数の経年的変動に水銀系農薬散布は影響しなかったことが示唆されます。出生数は何れの季節別でも水銀系農薬散布普及後に減少し、その減少幅は1月~4月で158.9人、5月~8月で189.3人、および9月~12月で93.0人でしたが、水銀系農薬散布時期が重なる5月~8月にとくに大きかったです。種々の農薬使用によってお米の安定的かつ量的供給能力の増大を得たにも関わらず出生数は経年的に減少しました。出水平野を持つ出水市郡において出生数の減少が、とくに5月から8月に観察され、さらに工場廃液が直接的に不知火海へ流されて以降に観察されました。したがって、出水市郡の出生数の減少がメチル水銀汚染によって引き起こされたと説明できます。

ここで各観察地域別および3季節別の水銀系農薬散布の普及後の出生数の変動を、死産数を調整した重回帰分析を行いました。鹿児島県;3季節とも有意ではありません。鹿児島市; 1月~4月だけが有意。姶良市郡;3季節とも有意ではありません。すなわち、出水市郡だけが3季節とも有意でした。鹿児島県の各地域における水銀系農薬の散布と出生数の変動との関係において、鹿児島県の観察地域毎に関連の一致性は得られませんでした。一方で、出水市郡だけが工場廃液由来のメチル水銀が負荷する地域であることから、出水市郡においてのみ工場廃液由来のメチル水銀負荷という基盤の上に水銀系農薬由来のメチル水銀負荷の追加による特異的なメチル水銀汚染状態であったことが示唆されます。工場廃液に水銀系農薬が加わったメチル水銀汚染が発生していたと考えられる熊本県における芦北郡および天草郡の町村における人口動態統計によって得られる出生数・死産数の変動の様態が出水市郡のそれらと同じであれば、関連の特異性とともに関連の一致性が得られることになります。不知火海全域、全国の稲作地帯の出生数および死産率(死産数)への水銀系農薬散布の影響について調査・研究できる機会が与えられることを希望しています。

季節を3分割して死産数を調整した不知火海に対峙する出水市郡の1952年から1961年における出生数の変動を観察しました。季節別には、とくに5月~8月の出生数が減少しました。8月および9月の受胎数が減れば5月および6月の出生数が減るでしょう。7月および8月に死産が多発すれば7月および8月の出生数が減るでしょう。工場廃液由来のメチル水銀が基盤的に、さらに年間を通して負荷している出水沖不知火海に7月・8月の水銀系農薬散布に由来するメチル水銀が河川水で運ばれ、8月および9月の不知火海への追加的負荷によって生態系の魚介類のメチル水銀レベルが高まったことが予想されます。そのようなメチル水銀に汚染された魚介類を多食した妊婦において受精卵の着床抑制が過発生すれば出生数は減少することが予想されます。また、5月から8月の月別には5月の死産率が有意ではありませんが6月、7月、および8月に比べ高かったです。5月から7月が出水沖不知火海の最漁期です。死産率上昇の要因としてのメチル水銀曝露量増加において、魚食量の増加が水銀系農薬散布に由来するメチル水銀曝露による魚介類中メチル水銀濃度の上昇を上回っていたことが示唆されます。いずれにせよ、出水沖不知火海において水銀系農薬由来および工場廃液由来のメチル水銀汚染が発生していたことは明らかと考えます。なお、出水市とその近郊地域の水銀系農薬散布は自治体主体による空中散布であったという記録があります(いずみ,出水市報)。魚食を経由したメチル水銀曝露によらず、散布された水銀系農薬を直接的曝露による死産が発生していた可能性も否定できないでしょう。

2 thoughts on “酢酸フェニル水銀系農薬によるメチル水銀汚染 -1952~1961年における鹿児島県各地域の出生数と死産率の変動について-

  1. MOMO

    &o博士の久しぶりの論文、なかなか理解できないのですが、陰ながら応援しています。

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    1. tetuando

      読み返して、手を入れながら、読者の理解を得たいと思います。長文を短く出来れば、それだけで自分と読者の理解度を挙げることができるはずです。今回の長文を一文で表現するとすれば.....「1955年以来全国で普及した水銀系農薬散布によって水田・小河川・河川・河口海域にメチル水銀が負荷された結果、大稲作地帯、閉鎖系水域において、また、とくに水銀を使用する工場の廃液が加わることでメチル水銀汚染水域が発生し、そのような水域の魚介類を多食した妊婦に受精卵着床抑制を含む流産と死産が多発し、出生数、とくに5月・6月のそれらが減少するという健康影響が発生した。」、です.....。

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