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生態系異常から知る熊本水俣病と新潟水俣病の違い-その2

2015年1月22日(既投稿)-再掲・訂正&「加筆・追記」

熊本水俣病患者の発生が水俣湾沿岸に止まらず、広く八代海(不知火海)沿岸に拡がったのは、19589月から翌1959年10月までの14カ月間、工場廃液の排水先が百間港(水俣湾内)から八幡(ハチマン)プール(水俣川沿いの廃水溜め沈殿池・上澄み廃液は八代海に溢れ・漏れ出た)に移ったことが原因だとされている。しかし、そのことが科学的に証明されているわけではない。熊本水俣病におけるメチル水銀発生源がアセトアルデヒド生産に由来する工場廃液だけであるとの意識の下では、それらが直接的に八代海へ流出したことによって、メチル水銀の濃厚汚染が広く八代海に拡がったという結論に行き着くだろう。しかし、日本政府は水俣病特措法で水俣病の発生地域は八代海沿岸全域ではなく、その一部に止まる(*1)と規定している。(*1);日本政府は工場廃液由来のメチル水銀の拡散によるその影響(水俣病の発症)が限定的であると主張していることになる。

水俣湾外八代海沿岸住民からの急性・亜急性水俣病(急性・亜急性)患者は 14人(13人の成人と 1人の小児)発生した。13人の成人のうち11人が漁師であり、1人の小児は漁師(11人中の 1人)の息子であり、全員が男性であった(*2)。漁師に偏りさらに女性に発生しなかった水俣湾外住民からの急性・亜急性患者の特徴は、魚食量が極めて多かったことにある。ただし、魚食習慣が一朝一夕に変化しないことを考慮すれば、彼らが摂食した魚介類のメチル水銀濃度が排水先変更以前より相当に上昇したことが示唆される。水俣湾外住民からの急性・亜急性患者は、工場廃液が八幡プールから直接八代海に排出されはじめた1958年8月から1959年2月までの6か月には発生しなかったが、19593八幡プールのある水俣市八幡地区(水俣湾外)住民の】から、八幡プールからの排出を止めた1959年10月翌月11月までの9か月間に発生している。因果関係の評価における時間の先行性(原因が結果に先行している)があることから、工場廃液の八幡プールへの排水先変更が関係していた(起因=”きっかけ”にはなった)可能性は十分高い。(*2);工場廃液が八幡プールから排出・流出され始めたのは1958年8月である。この排水先変更以前には、水俣湾沿岸湾内)住民から 65人【男 39人(内 10歳以下の男児 10人)・女 26人(内 10歳以下の女児 10人)】の急性・亜急性水俣病急性・亜急性)患者が発生していたが、水俣湾外の八代海沿岸住民から急性・亜急性患者は発生していない。なお、水俣湾沿岸および水俣湾外の八代海沿岸のそれぞれの住民からの急性・亜急性患者の性比(男/女)に有意差があり(39/26 vs 14/0, Fisher's exact test, p=0.003, 成人に限定した場合 29/16 vs 13/0, Fisher's exact test, p=0.012】、メチル水銀曝露条件(魚食量&摂食魚類のメチル水銀濃度)が異なることが示唆される。一方、胎児性水俣病患者(胎児性患者)は 1955年9月・出水米ノ津、1957年4月・芦北田浦、および1957年8月・出水米ノ津の水俣湾外の八代海沿岸で3例、単発的に生まれている。ただし、この時期、水俣湾内沿岸では多数(18人)の胎児性患者が連続的に生まれている。ところで、胎児性患者の母は水俣病の症状が見られるが軽症である(原田正純,日本ハンセン病学会誌,78,p55-60,2009)。胎児性患者は当初、母親がそろってほぼ無症状であるとして、水俣病ではなく脳性マヒと診断されていた(水俣病,pp85,青林舎,1979)。ところで、胎児性患者の母のメチル水銀曝露は急性・亜急性水俣病レベルであったが、胎盤を通して胎児にメチル水銀を移送したことで母の症は軽症化したと説明されたこともある。この説明はメチル水銀中毒の時間分布を無視しているようである。母が急性・亜急性水俣病を発症するメチル水銀曝露レベルであれば、受精卵が着床しただろうか。また、着床したとしても胎児が死産せず満足に成長しただろうか。どちらも考え難い。すなわち、胎児性患者の母の魚食量は普段から少なく、無症状・軽症状のメチル水銀曝露レベルだったはずである。それ故、彼女ら(母)の受精卵は着床し、流産・死産は避けられたのだろう。ただし、母の曝露したメチル水銀の一部は胎盤を通過するので、胎児のメチル水銀曝露レベルは、母の2倍(臍帯血MeHg濃度/母体血MeHg濃度)にも達し、脳神経系の成長・発達段階におけるメチル水銀曝露によって重篤な症状を潜在したまま出生したと考えられる。まさに、胎児性患者の誕生である。

一方、1959年2月から7月に亘って八幡プール地先では、大量の魚斃死が観測されている。しかし、それまで工場廃液が百間港から排水されていた期間(アセトアルデヒド生産開始の1932年以来1958年8月まで)、このような大量の魚斃死は水俣湾外ではもちろん水俣湾内でも発生していない。1959年11月から翌1960年1月までの工場廃液は八幡プールに溜めたまま流出させなかったとされているが、1960年1月末からは、排水先再び百間港へと変更された。1959年11月以降、直接的八代海への工場廃液の排出を止めてからはもちろん、再び百間港からの排水に至ってからも水俣湾内外で大量の魚斃死はみられていない。1958年 8月までの水俣湾内の魚類の異常行動としてカタクチイワシ魚群の飛び跳ねが観察されている。湾内における工場廃液由来のメチル水銀の一部は水俣湾内の生態系(海水・底土・動植物)に取り込まれただろう。それでも大部分のメチル水銀が湾内の海水中メチル水銀レベルを魚類の異常行動を引き起こすほど高めたが、魚の大量斃死を発生させるレベルに達しなかったのだろう。一方、百間港から排水された工場廃液由来のメチル水銀は水俣湾内を経由して湾外に拡散しただろうが、水俣湾外の八代海ではカタクチイワシ群の飛び跳ねさえも観察されていない(*3)。水俣湾の海水量を1とすれば八代海のそれらは 400である。したがって、単純計算で海水中メチル水銀レベルは水俣湾が1ならば八代海は 1/400である。工場廃液由来のメチル水銀が水俣湾外の八代海の大量の海水で希釈され、その海水中メチル水銀は低レベルであったはずである。したがって、水俣湾沿岸で急性・亜急性患者が多発していた時期に水俣湾内で大量の魚斃死が発生しなかったにもかかわらず、工場廃液が直接水俣湾外に流出しただけで、水俣湾外の八代海で大量の魚斃死が発生したことの説明は難しい。工場廃液由来のメチル水銀に加え、何らかのメチル水銀の上積みがあったことが予想できる。(*3);細川新日窒水俣工場附属病院長談話より → 外洋(筆者の解釈では多分水俣湾外の八代海と思われる)で捕獲したカタクチイワシを捕獲直後、ネコに餌として与えてもネコ水俣病を発症しなかったが、一か月にわたって水俣湾内の生け簀で泳がせた後のそれらでネコを飼育すると発症した。;筆者の加筆........湾内の生け簀で泳がせたことでネコ狂死(メチル水銀中毒死)を発生させたカタクチイワシ群の生態系の異常(飛び跳ねなど;とくにメチル水銀レベルが 1/400 の外洋から 1 の湾内の生け簀に移した直後・際の......)については述べられていない........。

ところで、1959年8月~10月の間、八幡プールから工場廃液に含まれたメチル水銀が流出し続けていたにもかかわらず、八幡プール地先(報告は水俣地先・津奈木地先である)で魚斃死は発生していない。しかし、1959年8月には八幡プールから北東に15㎞以上離れた芦北地先、および北北西に11㎞程離れた御所浦島地先大量魚斃死が発生している。また、9月には引き続き芦北地先および芦北地先よりさらに 10km(八幡プールから北東に25㎞以上離れた田浦以南海域(芦北地先以北)で大量魚斃死が発生している。さらに 10月には引き続き田浦以南海域で発生している。魚斃死量は 2~7月水俣地先・津奈木地先では 6か月間合計 2,132kgであったが、9・10月田浦以南海域では 2か月間でそれらの 6.5倍 の13,846kg9月だけ8,461kg61%)であった。魚の大量斃死が、八幡プール地先で 8月以降に発生しなかったことに加え、八幡プールから流出した工場廃液由来のメチル水銀だけで発生したとされる 6か月間2~7月)の八幡プール地先の 6.5倍量が 2か月間9・10月)の田浦以南海域で発生したことを工場廃液由来のメチル水銀だけが原因だと説明できない。7月下旬から 8月下旬の水田に大量散布された稲イモチ病対策の酢酸フェニル水銀系農薬(セレサン石灰)由来のメチル水銀が河川を経由して海域に流れ出たものが加わっていた可能性が極めて高いと考えている。

1959年2~5月には八幡プールから北北西に11km程離れた御所浦島(熊本県)および北西に14km程離れた獅子島(鹿児島県)でネコ狂死(ネコ踊り病とも呼ばれたネコのメチル水銀中毒の特異的な症状を示している)が連続発生している。工場廃液のメチル水銀が八幡プールの側を流れる水俣川の流れに乗って御所浦島・獅子島方面へ運ばれたと予想される。また、御所浦島・獅子島方面はカタクチイワシの群れの回遊ルートの一つでもあり、ネコ狂死が連続したことを説明することが出来る。

多くの水俣病研究があるが、狂死数/飼育;観察ネコ数(ネコ狂死比)などの動物の生態系の異常を扱った調査はほとんどない。八代海沿岸でのネコ狂死比は、水俣湾沿岸74/121が知られているのみで、水俣湾沿岸以外では調べられていない。それでも、水俣湾から遠く離れた(約38km)八代市において、ネコ狂死(分子)は観察されていない。したがって、八代市ネコ狂死比は、(分母は調べられていないが)間違いなくゼロである。魚介類のメチル水銀レベルが食物連鎖を経由した生物濃縮によって水俣湾外の八代海の隅々までも水俣湾内と同等になり、八代海沿岸全域から急性・亜急性の水俣病患者が発生したという主張は、八代市のネコ狂死比ゼロという事実と相反している。だからといって水俣病特措法で水俣病発生地域は八代海沿岸の一部にかぎられるという政府の主張の方が正しいということではない。政府(特措法)は水俣病認定患者発生地域と記述すべきところを水俣病発生地域と言い換えており、科学的見地からは 0 or 1 の定性的判断に止まっている。本来ならば、カキやムール貝などの付着性二枚貝のメチル水銀濃度の時間・地理分布を明らかし、人々のメチル水銀曝露量(摂食魚介類の平均的メチル水銀濃度×魚食量)の推定値から定量的に軽症から重症の水俣病発生の可能性から発生地域を示すべきである。

本来の疫学(記述疫学)では、メチル水銀曝露における中毒ネコの時間・地理分布を描く。しかし、何時、中毒が発生したかとネコに聞いても答えてくれない。したがって、中毒発生の時間分布を得ることは出来ない。それでも、急性中毒死であるネコ狂死は、人々の目に曝されるだろうから、ある程度の正確さで、その時間・地理分布が推定できる。さらに、ネコ狂死の地理分布は高濃度メチル水銀曝露の地理分布と一致することが期待される。実際、ジョン・スノウはロンドン・ブロードストリートのコレラ流行の原因が公共給水ポンプ(高濃度曝露源)であることをコレラ患者ではなくコレラ死者の地理分布を描くことから特定している(ロベルト・コッホがコレラ菌を発見する 30数年前に病因を特定したことから疫学の原点と言われている)。ただし、熊本の場合、ネコの主たる漁労が人々の漁獲物を失敬することであり、その上、その漁獲物がカタクチイワシのような回遊魚であれば、それらが漁獲された場所をメチル水銀発生源地とすることは出来ない。回遊コースの何処かが発生地ではある。1957年2~4月排水先変更前)に水俣湾外の津奈木合串で多数のネコ狂死が発生した。水俣湾の恋路島から直線距離で13km北東に離れた場所(合串)でネコ狂死が多数発生したのであれば、既に水俣湾外の八代海が濃厚なメチル水銀レベルであったことになる。しかし、その報告を受けた水俣保健所長が現地調査したところ、水俣湾近辺での漁獲物密漁による発症だったということが判明している(水俣病,pp832-833,青林舎,1979)。八幡プールへの排水先変更前メチル水銀濃厚汚染域水俣湾内に限られたこと、同時に、水俣湾外メチル水銀レベル水俣湾内より相当に低かったことを裏付けている(再び*3を参照)。すなわち、水俣湾内回遊しメチル水銀の生物濃縮を果たしたカタクチイワシの魚群の一部が、捕獲されず八代海遡上しさらに生物濃縮を果たしても、それらのメチル水銀レベルが、湾内捕獲されたカタクチイワシのそれらより十分に低かったこと(*4が示唆される。事実、排水口変更前水俣湾外八代海沿岸ネコ狂死見られていないことがそれを説明している。(*4);カタクチイワシのメチル水銀の生物濃縮の主体が鰓・呼吸経由であって経口/経腸・食物連鎖経由でないことが期待される。

一方、新潟における急性・亜急性患者宅のネコ狂死比(狂死ネコ数/飼育ネコ数)の地理分布は、左岸側の下山(河口から1.5~2 km)で5/19,津島屋(2~4km)で16/28,一日市(4~5km)で7/21,および上江口(5~7km)で1/13,右岸側の新崎・胡桃山(河口から5~6km)で5/10,および高森・森下(6~8km)で5/12, また、横越(左岸10km)・京ヶ瀬(右岸13km)で0/13(この地区に急性・亜急性患者は居ないので、ネコ狂死比を観察する対照地としている)である。新潟の26人の急性・亜急性患者の発生地は河口から最も離れた森下地区(右岸河口から8km)であり、森下地区より上流域での急性・亜急性の発症者が居なかったことの状況証拠として横越・京ヶ瀬のネコ狂死比ゼロを挙げることができる。また、ネコ狂死比の最高は津島屋である。しかし、ネコ狂死比は、下山(5/19)および一日市(7/21)と津島屋(16/28)間に有意差がない(p=0.185 and p=0.313)ことから、統計学上、津島屋にメチル水銀発生源が在ったと特定出来ない。しかし、ネコ狂死は津島屋で初発している。時間分布からは初発地のメチル水銀濃度が最高であった可能性は高いはずである。それ故、津島屋のネコ狂死比が最も高いという統計学上の有意差が有って然るべきだとの意が強くなる。観察ネコ数が少ないことを考慮した統計を考え(工夫し)、観察ネコ数における狂死数非狂死数との分布の比較を試した。津島屋(狂死数16:非狂死数12)と下山(5:14)、および一日市(7:14)の分布の差は、前者(カイ二乗検定;p=0.037)は有意であるが、後者(p=0.098)は傾向に止まった。ネコ狂死比でなく、狂死数と非狂死数との分布を用いた統計結果が使えそうであるが、やはり曖昧である。

しかし、ネコ狂死の時間分布の情報(津島屋で初発)が有るので、とりあえずは津島屋にメチル水銀発生源があったと言っても良いかもしれない........。観察開始時を津島屋のネコ狂死の初発時として観察ネコの狂死の発生数と発生時間経過生存分析によって比較できる。実際の計算はお手上げだが、統計ソフトのお陰で、データを入れるだけで結果が得られる。Kaplan-Meier法で累積生存曲線の地区別比較を Loglank検定した結果である。津島屋と下山では、津島屋で僅かに早く狂死が進行し、その率も高いが有意ではない(カイ二乗値=2.903,p=0.088,ただし、狂死数と非狂死数との分布有意差がある;p=0.037)。津島屋と一日市では、津島屋で有意に早く狂死が進行し、その率も高い(カイ二乗値=4.007,p=0.045)。下山地区に近い津島屋地区に最も濃厚なメチル水銀発生源が在ったことが期待される。急性水俣病初発患者が、1964年8月に発症した下山(阿賀野川左岸・河口から 2km → 下山地区でも津島屋隣接の下山)地区住人であることからもメチル水銀発生源地がほぼ特定出来ると考えられる。通常、疫学では初発地が原因の所在地である。しかし、この統計学では初発地が原因の所在地であると同定出来なかった。翻ってみれば、原因の所在地が移動したと捉えることが出来る。正に、泰平橋(河口から 5km)の左岸河川敷に野積みした水銀系農薬の紙袋群が7月上旬・梅雨末期の大雨・洪水で河口域に流失し、その後、河川水によって連続的に日本海に流れ出たことが予想できる。これらのデータは、阿賀野川河口から 65km上流の昭和電工鹿瀬アセトアルデヒド生産工場からの工場廃液のメチル水銀が阿賀野川河口域のネコ狂死の発生源であることの説明になってないのは明らかである。

ところで、阿賀野川の流れのほんの一部は左岸河口から2kmの通船川(*5)を抜けて信濃川に入る。通船川入口から対岸方向200m離れた左岸側阿賀野川に長径270m・短径100mの紡錘形の中州がある。その辺りの河川底に多くの(泰平橋下左岸河川敷に野積みした水銀系農薬の洪水による)流失農薬が止まり、環境のメチル水銀濃度を高めていたと考えている。この中州は、正に下山地区に近い津島屋地区という位置に在る。阿賀野川の川魚漁に関しては、居住地に近い所が漁場のようである。それに、患者宅の飼いネコが対象なので、患者が食べた魚と同じものをネコに与えていたとして良いだろう。それ故、阿賀野川下流域の比較的狭い地域におけるネコ狂死の時間・地理分布は、正しく、メチル水銀発生源地を示している。(*5)多くはWikipediaから引用・編集;1730年新発田藩は、信濃川に合流して日本海に注ぐため、洪水を繰り返していた阿賀野川の河道を直接、日本海に流出させるための捷水路(ショウスイロ)を開削した。しかし、翌年春の融雪洪水で決壊し、むしろ大々的に現在のように阿賀野川河口が日本海に開けたという。決壊によって出来た池は、現在、貯木場として機能している。信濃川に通じる手前1km辺りは焼島潟と呼ばれ、通船川はそこまでであり、1967年に設置した山の下閘門(船のエレベーター)排水機場を抜け新栗ノ木川と合流し、新川として信濃川と繋がっている。通船川と信濃川との水位差は、2m前者が高いそうである。現在、津島屋にも閘門排水機が設置されているが、設置年は検索できなかった。1964年6月16日の新潟地震の津波によって、製紙工場(パルプ生産)のために通船川近辺に貯木されていた85%は日本海に流失したようである。しかし、焼島潟からの流失は65%に止まっている(岩淵洋子ら,海岸工学論文集,53,p1326-1330,2006))。焼島潟付近の流れが新栗ノ木川の流れに遮られているとの情報ではと思われる。

1966年9月19日に焼島潟で採集した泥土の総水銀濃度は19.0±6.9ppm(5.6-37.4ppm,n=27)である。1966年10月14日に上記の通船川入口から200mの中州で採集した泥土の総水銀濃度は0.44ppmと報告されている。これらのデータから、1964年7月上旬に河口から 5kmに掛かる泰平橋下の阿賀野川左岸河川敷から流失した紙袋入りの水銀系農薬の多くが河口から 2kmの中州辺りに到達・堆積しただろう。そして、水銀測定のために河底土を採集するまでの期間(2年3か月)に阿賀野川の流れによって、それらの大部分は日本海に流失したのだろう、中州の泥土に一旦堆積した水銀のほとんどが流失して1ppmも残らなかったようである。しかし、中州の泥土に堆積した水銀の一部が、通船川を通って焼島潟に停留・残留したのであれば、焼島潟の泥土に水銀が20ppm近く残留・堆積したことを説明できるのではないだろうか。昭電(横国大・北川徹三)が主張した塩水楔説(*6)では説明できないネコ狂死の時間・地理分布および泥土の総水銀地理分布だと考えられる。(*6);1964年6月16日の新潟地震で発生した津波によって新潟港埠頭倉庫に保管中の水銀系農薬が信濃川河口から日本海に流出し、阿賀野川河口沖に漂流した。ところが、阿賀野川における夏季の渇水期に、満ち潮とともに漂流していた水銀系農薬が海水で阿賀野川河口に運ばれ、阿賀野川の河川水を押し上げながら河口から 8km近くまで運ばれたとの主張(説)である;比重の大きい海水に含まれた水銀系農薬が、比重の小さい河川水に流されることなく、河川水に楔を打つような状態で河口から 8km近くまで運ばれ、阿賀野川下流域をメチル水銀で汚染したと主張し、工場廃液説を真っ向から否定した。

ネコ狂死(急性中毒)はメチル水銀高濃度曝露の指標だろう。 ネコの慢性メチル水銀中毒の症状が分かれば、より低いレベルのメチル水銀汚染の指標に出来るはずである。しかし、ネコのメチル水銀中毒の結末は致死である。水俣病の発生が公表された1956年5月1日以来、熊本大の研究者の多くは、ネコ狂死が水俣病の原因を解く鍵と考えたようである。1958年9月、熊本大武内は、水俣病症状が有機水銀中毒例に一致すると発表した。有機水銀説は駅弁大学・ヘッポコ大学の戯言と揶揄され続けた。しかし、熊本大喜田村は早速、狂死ネコの臓器中総水銀の測定を試みている。

喜田村の専門は公衆衛生学であり、狂死ネコだけでなく、各地からネコを集め、様々な比較試料としている。それなりの意図を持って臓器中総水銀濃度を比べたということである。この臓器中総水銀測定実験で特筆すべきは、自然発症群と実験発症群が揃えられていることであるが、残念な事に、ネコの性・体重(年齢)・臓器重量などの記述がないことから、ネコにおいてメチル水銀が食物連鎖を経由して生物濃縮されることに関わる幾つかの要因を統計学的に調整出来ないデータになっている。したがって、以下のネコの臓器中総水銀濃度の統計学的な比較・検討は単なる数値の大小に止まるものである。

腎臓中総水銀濃度は、自然発症ネコ3匹で算術平均±標準偏差; 20.8±10.9ppm,幾何平均・95%信頼区間 19.1ppm・5.4-66.9ppm、実験発症ネコ4匹で 20.1 ± 10.8ppm,18.4ppm・8.9-38.2ppm だったが、両者の差はない(p=0.936・p=0.926)。自然発症ネコ(脳,9.2±1.6ppm,9.2ppm・1.8-45.6ppm,n=2;肝臓 62.2 ± 21.6ppm,42.0ppm・42.0-83.9ppm,n=6)・実験発症ネコ(脳,12.8 ± 5.1ppm,12.0ppm・7.3-19.6ppm,n=5;肝臓 74.3 ± 32.0ppm,69.5ppm・52.4-92.1ppm,n=9)の各臓器中総水銀濃度もほぼ同じである。もちろん有意差はない。それに肝臓中総水銀濃度に対する脳中総水銀濃度は自然発症ネコで14.8%、実験発症ネコで17.2%である。測定例数が少ない(とくに自然発症ネコの脳は2検体)ので統計学的な差は検討しにくいが、自然発症群と実験発症群の差はないと考えて良いだろう。

各臓器とは;肝臓・腎臓・脳・毛などである。メチル水銀曝露源(魚など)を摂取すれば、即、脳神経系に取り込まれることはないはずである。いかにも、摂取したメチル水銀がそのまま毒物として作用するのであれば、魚を摂取する度に、その量に応じて脳神経系はダメージを受けるはずである。そうであるなら、海洋に囲まれて生活する人々(海洋人)は年齢とともにメチル水銀中毒症になり、その症状も進むはずである。我が国の偉人達が、一切、魚食をしなかったというなら、前記したことが事実である可能性は高いだろう。しかし、海洋人の魚不食が事実でないことに疑う余地はない。

メチル水銀中毒に引き金があることが期待される。経口曝露のメチル水銀は、まず肝臓に運ばれる。肝臓中の総水銀濃度は、発症群(平均値;69ppm,最小値-最大値;37-146ppm,検体数;n=15),芦北健康群(50ppm,5-301ppm,n=18),天草健康群(26ppm,9-58ppm,n=7),熊本対照群(2.6ppm,0.6-6.6ppm,n=5),大分対照群(1.7ppm,0.7-3.7ppm,n=8)である。平均値は環境中(摂食魚)のメチル水銀レベルを表していると考えられる。発症群>芦北健康群>天草健康群>熊本対照群>大分対照群という肝臓中総水銀濃度の平均値であり、そのまま環境中メチル水銀レベル順として良いだろう。発症群と芦北健康群との差は有意ではないが(p=0.354」、天草健康群との差は有意である(p=0.001)。発症群の最小値(37ppm)を発症の閾値(threshold)と仮定する。芦北健康群から37ppm未満の14検体を除く、75,85,172,および301ppmの4検体が閾値超である。天草健康群の37ppm超(閾値超)は58ppm(最大値)の1検体である。発症群15検体では、11検体で37-68ppm、4検体で75ppm以上の、78,101,106,および146ppmである。芦北健康群の172ppmおよび301ppmの2検体の存在は、経口曝露量だけがネコ狂死の必要十分条件でないことを物語っている。メチル水銀曝露量は摂食した魚介類のメチル水銀濃度×摂食量で計算される。ネコにとって魚介類の摂食が自由であれば日常的摂食量はそれほど変動しないだろう。発症群と芦北健康群の魚介類摂食量に差が無かったとすれば、魚介類のメチル水銀レベルにおいて発症群が摂食したものが芦北健康群のそれらより断然高かったと予想できる。発症群では魚介類のメチル水銀レベルが高すぎて肝臓で処理出来ず、メチル水銀が脳に取り込まれ発症した。一方、芦北健康群の摂食した魚介類のメチル水銀は、肝臓が処理できるレベルであり、肝臓に蓄積し、他臓器に運ばれるメチル水銀は少量だったのだろう。とくに脳における脳血管関門(Blood Brain Barrier)で通過を止められる血液中メチル水銀レベルであったことで健康レベルに留まったと考えられる。

毛(髪)は、メチル水銀の排泄器官のひとつである。また、そのメチル水銀濃度は肝臓のそれらと同様に、曝露量の指標とされている。その総水銀濃度は、発症群(46ppm,22-70ppm,n=4),芦北健康群(55ppm,9-134ppm,n=11),天草健康群(77ppm,18-128ppm,n=7),熊本対照群(8.4ppm,0.2-29ppm,n=5),大分対照群(2.3ppm,0.5-3.5ppm,n=5)である。平均値は天草健康群>芦北健康群>発症群>熊本対照群>大分対照群である。発症群の最大値(70ppm)を超える検体が芦北健康群に4例(80,87,89,および134ppm)、および天草健康群に3例(117,118,および128ppm)を確認できる。発症群の検体数が4例と少ないので統計的な差を検討しない。しかし、二つの地域の健康群ともに平均値が発症群より高い上に、発症群のそれらの最大値を超える濃度の検体が複数例ある。したがって、肝臓中および毛髪中の水銀濃度が曝露量の指標ではあっても、中毒の閾値の指標にはなりそうもない。

次に腎臓と脳の総水銀濃度を示す。腎臓の水銀の大部分は無機水銀である。腎機能が正常であれば、肝臓から送られた血液中の血球メチル水銀および血漿中の蛋白質結合水銀・メチル水銀は濾過の対象でないので、そのまま血中に残る(*7)。また、無機水銀イオンの形で濾過された水銀(の大部分)が尿として排泄される。したがって、尿として排泄できず、蓄積した無機水銀が腎臓の水銀と考えている。腎臓の総水銀濃度は、発症群(20ppm,12-36ppm,n=7),芦北健康群(3.3ppm,0.2-6.8ppm,n=18),天草健康群(2.5ppm,0.9-4.0ppm,n=7),熊本対照群(0.2ppm,0.1-0.3ppm,n=3),大分対照群(0.5ppm,0.1-0.8ppm,n=7)である。二つの地域の健康群の最大値(6.8ppm,および4.0ppm)は、発症群の最小値(12ppm)に届いていない。腎臓の総水銀濃度の6.8ppm超~12ppmがネコ狂死の閾値と考えられる。(*7);正常な腎機能下で調節されている血中メチル水銀は脳血管関門が機能し、関門を容易に通過できないのではないかと考えられる。そして、脳血管関門を通過しなかったメチル水銀は毛の水銀として排泄される可能性があると考えた。メチル水銀曝露量が短時間に多量の場合、腎機能が正常に働かないことで、尿(無機Hg)および毛(メチル水銀)からの排泄が進まないのだろうか(*8)。

脳の総水銀濃度は、発症群(12ppm,8-19ppm,n=7),芦北健康群(2.1ppm,0.7-4.1ppm,n=15),天草健康群(1.7ppm,0.13-3.6ppm,n=6),熊本対照群(0.06ppm,0.02-0.12ppm,n=3),大分対照群(0.09ppm,0.05-0.13ppm,n=5)である。腎臓総水銀と同様に脳総水銀でも二つの地域の健康群の(4.1ppm,および3.6ppm)は、発症群の最小値(8ppm)に届いていない。脳の総水銀濃度の4.1ppm超~8ppmがネコ狂死の閾値と考えられる。(*8);腎機能が低下すると、血中の無機水銀イオンを濾過・排出できない。血中の無機水銀イオン(*9)が脳血管関門の機能を低下させることで、脳中にメチル水銀が侵入するようになり、メチル水銀中毒が発現すると考える。(*9);メチル水銀関門の機能低下は無機水銀イオンに限らず、重金属(無機イオンとして・水俣湾ではFeイオン/Mnイオンが高濃度だったと考えられる)との共存でも起こるかもしれない。

このような関門(barrier)の考え方は自説である。白木の妊娠ネズミへの塩化エチル水銀と塩化第二水銀のトレーサー実験(水俣病,pp655-657,青林舎,1979)がネガティブヒントである。血液胎盤関門を通過できない無機の203Hgは胎盤で完全に止まっている。一方、世間(水俣病研究者)の常識ではアルキル水銀(メチル水銀やエチル水銀)は容易に胎盤を通過し(血液胎盤関門を抜け)、胎児に侵入するという。しかし、白木のラジオオートグラムは、塩化エチル水銀の203Hgのほとんどは胎盤に停留し、ほんの一部が胎児に浸入していることを示している。妊婦時の母の血液は、肝臓⇒胎盤⇒胎児の流れであり、通常(非妊娠時)は肝臓⇒腎臓⇒全身である。肝臓では一部のメチル水銀を(腎臓での排出処理のため)無機化する。そんな肝臓由来の無機化された無機水銀イオンが血液胎盤関門の機能を低下させ、エチル水銀の203Hgの一部が胎児に浸入したという考えである。世間が言うように、摂取したメチル水銀が容易く脳に侵入するのであれば、魚食量の多い人々は全員、魚介類由来のメチル水銀に中毒するはずである。しかし、実際には虚血性心疾患の低リスク要因として魚介類の摂食が推奨されているほどであり、通常の魚食にメチル水銀中毒のリスクがあるとは考えられていない。ただし、妊婦の魚介類の摂食については胎児の成長・発達に影響しないように魚種と魚食量を考慮しようという注意喚起が為されている。

新潟の(実験)狂死ネコの肝臓・腎臓・脳の総水銀濃度はそれぞれ10074,および1.7ppmである。報告はこの1例に限られている。発症ネコにもかかわらず、の1.7ppmは、熊本の推定閾値 4.1~8ppmに遠く及ばない。一方で腎臓の74ppmは、熊本の推定閾値6.8~12ppmを大幅に超えている。この差異が、海産魚と川魚の無機金属の代謝の差から生じたのではないかとも考えられるが、1例の報告では何の結論も得られない。新潟水俣病のメチル水銀発生源は、熊本水俣病という経験が有ったことで工場廃液であって「公害」であることが速やかに明らかになったとされている。ところが、新潟水俣病関連の調査・研究でネコ狂死試料の臓器中水銀濃度を測定した例がほとんど無い。阿賀野川中流域で死んだネコを掘り起こしてまで骨や毛の総水銀濃度を測定している。そうでもしなければネコ狂死例が得られなかったということであり、1965年6月からの新潟水俣病に関する調査・研究によって、同年5月の一日市地区でのネコ狂死が最後の例であることが分かっている。上記の1例の実験狂死ネコの脳の総水銀濃度 1.7ppmはこのネコは狂死状態でなかったことが予想出来る。したがって、実験ネコに供した阿賀野川下流域の川魚のメチル水銀濃度は中毒レベルでなかったことが示唆される。しかし、川魚の無機水銀濃度は相当に高く、腎の総水銀濃度が 74ppmまでも上昇したことを説明している。泰平橋左岸下河川敷に野積みした水銀系農薬紙袋が1964年7月上旬の梅雨末期の洪水で河口域に流出したものがメチル水銀発生源であるとの説明になっている。65km上流の工場廃液は 1965年1月 10日以降流れていない。1965年6月以降の阿賀野川下流域の川魚の低いメチル水銀濃度の説明にはなるが、高い無機水銀濃度を説明することは出来ない。阿賀野川下流域の急性・亜急性水俣病患者のメチル水銀発生源を科学的に工場廃液であると説明することは出来ない。

ところで、熊本の胎児性患者、および臍帯中メチル水銀濃度における出水・水俣・芦北の三地域でそれぞれ地理分布が異なっている(*10。臍帯は発生学上は受精卵(胎児)の一部であるが、組織学上では胎盤の一部である。したがって、胎盤(臍帯)メチル水銀濃度を一方的に胎児のメチル水銀曝露量の指標と考えるのは正しくないだろう。(*10);臍帯メチル水銀濃度は出水市民>水俣市民である。胎児性患者の重篤さおよび発生数は断然、水俣市民>>出水市民である。臍帯は胎盤の末端として胎児と繋がる血液の通り道である。胎児性水俣病の存在が明らかになった時、メチル水銀は血液胎盤関門(Blood Placental Barrier;BPB)で留まることなく容易に胎盤を通過すると説明されていた。しかし、環境中(and 魚介類)メチル水銀レベルにおいて水俣湾 >>出水沖八代海であるにもかかわらず、臍帯中メチル水銀レベルが出水市民 >水俣市民という事実をメチル水銀に対してBPBが無効だとして説明することは難しい。そうではなくBPBの通過におけるメチル水銀濃度に閾値があるとする、すなわちBPBは低濃度のメチル水銀には有効であり、母の血液中低濃度メチル水銀はBPBの閾値まで胎盤(末端は臍帯)に滞留するので胎児(新生児)の臍帯中メチル水銀濃度は高くなるが、胎児に侵入するメチル水銀量は抑制されると考えられる。正に、出水市民の臍帯中メチル水銀濃度を示しているだろう。一方、BPBの閾値を超える母の血液中高濃度のメチル水銀は胎盤(末端は臍帯)に留まることなく、胎児に侵入するので胎児の水俣病症状は重篤であり、さらに侵入量が致死量を超えれば死産の発生が予想される。ところで、そのような死産児の臍帯は入手出来ないことから、魚介類のメチル水銀レベルが高かった水俣市民の臍帯中メチル水銀の濃度分布において死産児の分布(高濃度分布)が欠損し、水俣市民の臍帯中メチル水銀濃度の平均値が期待される平均値より相当に低くなったと考えられる。臍帯中メチル水銀濃度において出水市民 >水俣市民を説明することが出来そうである。

水俣湾・八代海沿岸および阿賀野川流域の生態系の異常から、様々な思考が生まれました。水俣病事件とは直接関係していない皆様の忌憚のないご意見・批判がいただければ幸いします。

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