コンテンツへスキップ

新潟水俣病公式確認50年-その1

2015年6月6日投稿済....再掲・訂正&「加筆・追記」

1965年5月31日に阿賀野川下流域における水俣病患者5人の存在新潟大から新潟県へ報告されました。それから50年、2015年5月31日新潟水俣病公式確認50周年でした【1965年6月12日(新潟大学・新潟県合同会見日)を公式確認日とする場合もあります】。前年(1964年)8月下旬に見つかった最初の(初発)患者は下山地区(阿賀野川河口から1.5㎞の河口に向かって左岸の集落)の住人です。続いて10月に下山地区2人と津島屋地区(阿賀野川河口から3㎞の下山の隣の左岸集落)1人、11月に下山地区1人、合わせて5人が報告されました。

その後の患者調査により1965年7月までに合計26人(左岸1.5㎞~6㎞から18人,男15人・女3人:右岸5㎞~8㎞から8人,全員男)の急性・亜急性患者(5人の死者は全員男)の発生が確認されました。患者男に偏って発生していました。「一般に魚食量は男>女です。定量的にその差を示すと、一般家庭の夫婦の差であれば切り身一切れ(25~50g)といったところでしょう。しかし、魚食に偏った漁師家庭の場合、定量化は難しく、男女差は様々でしょう。それでも阿賀野川下流域での魚食量男女差が、急性・亜急性の水俣病患者において男への偏りの要因であったと思われます。さらに、この男に偏った急性・亜急性患者の発生、また、最初(8月下旬)と二人目(10月)の発症との間に1か月以上の空期間があり、患者の発生が不連続*1)」だったことが(女性患者3人はいずれも一日市地区住人です。同地区の男性患者の最後の発症時の1965年4月から1か月以上の空期間のある1965年6月・7月に3人の女性患者は発症しました。)長期連続ではなく短期濃厚のMeHg汚染であったことを説明しています。川幅が約1kmと広い阿賀野川下流において26人の患者の地理分布で、左岸域に18人と偏っていることから、汚染源(発生)域は、左岸域の下山・津島屋河岸域であったことが予想できます。また、ネコ狂死が津島屋で初発したことも、そこに(左岸域・津島屋付近に)汚染発生域があったことを説明しています。患者の初発に係る1964年7~9月にはその比較的狭い水域の川魚がメチル水銀に濃厚汚染されたことを想起させてくれます。26人の急性・亜急性患者発症の時間・地理分布は川魚の季節(生殖行動)依存の回遊経路に一致しています。「(*1;患者発生が不連続であったことを重要視するのは、正に、生態学上、生態系の異常が発生したと捉えることが出来ると判断したからです。26人の急性・亜急性の患者およびその他の650人を超える慢性患者の発症において、それぞれの時間・地理分布は不連続・不一致です。すなわち、それぞれの患者は、生態系が異なる状態で発生したと考えられます。)」

昭和電工鹿瀬(かのせ)工場は河口から65㎞上流で操業しており、1965年1月10日で操業は中止しました。急性・亜急性患者およびネコ狂死阿賀野川流域の河口から8km~65㎞において発生したと報告されていません。したがって、昭電鹿瀬の工場廃液が急性・亜急性水俣病を発生させたとする因果関係の特異性(メチル水銀汚染源の発生地で最も重篤なメチル水銀中毒症=水俣病が発生する)を示せません。政府見解では工場廃液をメチル水銀汚染源と言わず、巧みな言い回しで阿賀野川流域における長期的MeHg汚染の基盤としています(科学的に証明はしていない・正に見解)。世間が認識しているのは新潟水俣病裁判(民事訴訟;昭電の流したメチル水銀に汚染された川魚を住民=原告が摂食したことで水俣病になった。被告は補償せよ)の判決であり、昭電はメチル水銀を流さなかったことを証明できなかったことで敗訴したのです。実際、量は不明ですが流したことは科学的に証明されています。裁判では中毒が量(昭電鹿瀬が排出したMeHg量)に関係することなく、質(昭電鹿瀬がMeHgを流したこと)で発症したと裁定しています(量反応関係が成立するから中毒の発症率;反応率が説明できるはずです⇔昭電鹿瀬の操業中止後の遅発発症では量反応関係は成立していません)。

1960年~73年までの14年間における認定患者520名の発症時間分布(地理分布は示していません)が報告されています。ヒストグラムを数値化すると60年1名,3,5,13,64年50,65年115,41,67年67,57,69年64,54,30,16,73年5名と読めます。年間発症数なので季節分布は分かりませんが、65年・67年・69年に発症数の極大が見られます。

メチル水銀汚染源が1つであれば水俣病の発症(中毒)時間分布は正規分布するはずですが、新潟水俣病患者520名の発症時間分布は正規分布していません。65年・67年・69年に発症数の極大を基に3つの正規分布が重なった分布図と見なすことが許されるのであれば、①阿賀野川中流住民主体の60年~67年(極大&中央値)~73年;慢性発症,②阿賀野川下流域住民主体の64年~65年(極大&中央値)~66年;急性・亜急性発症,および③阿賀野川中・下流住民主体の64年~69年(極大&中央値)~73年;②を起因とする慢性発症の3つと言えそうです。

①と③の慢性発症;専門家は遅発性水俣病*2)と説明しています;を政府は昭電鹿瀬の工場廃液が基盤とし、原因という文字で表しません。「慢性発症の時間分布は、原因が稲イモチ病対策の水銀系農薬の大量散布であることを指している可能性が高いのですが、政府は、それを完全に否定しています。政府見解の基礎資料は、新潟水銀中毒に関する特別研究報告書(科学技術庁研究調整局,1969)です。しかし、当の報告書に、水銀系農薬の可能性が全くないという記述はありません。一般人がその報告書を読む・理解する機会が無いことを見込んで完全否定したに過ぎません。むしろ、この完全否定が必要だった理由に原因の真実が隠されていると言えるほどです。」*2;曝露量が閾値(threshold)を超えて中毒発現に至るのが教科書的な中毒(学)ですが、昭電鹿瀬の操業中止から数年~10数年を経た中毒発現を説明できないので、MeHg中毒は遅発発現(発症)することがあるとした非科学的な説 だと思います⇒ しかし、昭電鹿瀬の工場廃液を唯一のMeHg汚染源と特定するためには遅発性水俣病が存在しなければ説明に窮します。50年間も科学を蔑ろにしています。八代海沿岸住民における同様の発症に対しては、慢性水俣病と呼んでいます。「ところで、水俣病特措法においてチッソの操業中止後18か月を過ぎると時間外とし、八代海沿岸では胎児性患者が発生しないことが想定されています。しかし、八代海沿岸の水俣病が、新潟と同じ工場廃液による『公害』であるのなら、遅発性発症に時間外は設定できないのではないでしょうか。一方、新潟では昭電の操業中止後23か月超が時間外です。時間外の根拠がアセトアルデヒド生産中止であるならば、このズレは何処から生じたのでしょうか。」

昭電鹿瀬工場の操業中止24年後(1989年12月)も汚染レベル(0.4ppm超)の川魚が検出されたことを以って(汚染レベル9匹/総検体23匹)、工場廃水の環境汚染影響が操業中止後も続いているとの主張があります(吉田三男,怒りの阿賀,pp22,あずみの書房,1991)。「1989年に工場廃液の影響が残っているのであれば、工場の操業中止後の水俣病の発症形態は遅発性ではないことになると思います。」それに、1976年10月には、環境浄化のふれ込みで、昭電鹿瀬排水口直下の河川底から5.4㎏のHgを浚渫・除去しています。しかし、そのHg量は、阿賀野川流域で散布された農薬由来のHg量(16.5㌧38.7㌧)に遠く及びません。「1976年10月以降に工場廃液由来のHgの影響は無いと考えるべきでしょう。1989年12月の汚染レベルの川魚のHg汚染源として、水田に残留した農薬由来のHg以外のどんなHgが存在していたのでしょうか。只見川・阿賀野川流域の5万年前の沼沢火山の火砕流を持ち出すのでしょうか.....。」

水俣湾では食物連鎖の下位から比較的整然と【プランクトン→魚の斃死(大量斃死ではない)→ネコ狂死;54年に頻発・ヒト発症;56年から続発】生態系の異常が発生しました。1956年~58年の昭電のアセトアルデヒド年間生産量は、1951年~53年のチッソのそれらと同等でした。その頃、水俣湾沿岸で渡り鳥・カラスの飛行中の落下が多数見られていますが、阿賀野川流域では全く観察・報告されていません。一方、阿賀野川下流域ではネコ狂死も急性・亜急性患者も1964年8月~65年7月までの同時期の発生・収束でした。両者ともメチル水銀汚染ですが、汚染形態は異なっており、アセトアルデヒド生産工場が在ったという事のみ一致しているに過ぎません。その上、百間排水口(MeHgの環境への出口)は水俣湾内にありましたが、昭電鹿瀬の排水口は下流の下山・津島屋には無く、それより65㎞上流に在りました。「確かに、政府見解では鹿瀬の工場廃液は長期MeHg汚染の基盤であって汚染源と表記していません。巧みな言い回し?!?というより逃げの一手のようです。」

チッソと昭電のアセトアルデヒド生産方式は異なりますが、反応槽における化学反応系(アセチレンのHg触媒による水添加反応)はほぼ一致していますので、メチル水銀イオン(CH3Hg+)が副生したのは事実でしょう。CH3Hg+は硫酸溶液中の溶存メチル水銀です。アセトアルデヒド(CH3CHO)の沸点は21℃なので、反応槽をとくに加熱せずともCH3CHOは蒸発し、その蒸気は冷却されて貯留槽に溜まりますが(収量の効率化のため、初期の加熱・蒸留法を後に減圧・真空法へ変更しています)、溶存したCH3Hg+は理論的には蒸発しないので貯留槽に移りません。ところで、水添加反応のためのチッソ地下水昭電阿賀野川の河川水を使いました。

海岸立地のチッソの地下水多量塩素イオンCl-)を含んでおり、反応槽においてCH3Hg+のほぼ全量がCl-と反応し、塩化メチル水銀(CH3HgCl固体=結晶)が多量に生成したことが期待されます。CH3HgCl結晶は、その物理化学的性質によって低温で容易に昇華します。そのため、チッソの貯留槽ではCH3CHO(アセトアルデヒド)に加えてCH3HgCl(塩化メチル水銀)が溜まったでしょう。昭電のCH3Hg+は阿賀野川の河川水に含まれるCl-に相当する量のCH3HgClの生成に止まり、それらが貯留槽に移動したはずです。昭電は間違いなくメチル水銀を流出させましたが、その量は酢酸フェニル水銀系農薬の散布によるメチル水銀量の数千分の一程度だと考えられます(裁判では昭電は一日当たり500gのMeHgを流したとされています。一方、チッソのMeHg排出量は一日当たり10~110gと推定されています。何と昭電の方が5~50倍多い?!?)。したがって、工場廃液がメチル水銀汚染源の主体でないはずです。かといって政府見解の基盤的汚染源であることを否定する直接的データはありません。昭電鹿瀬の工場廃液にMeHgが含まれていたことは事実と思われます。「水俣病問題を定量的に捉えることなく、定性的な事実だけで説明しています。疫学上の因果関係の評価において量反応関係が成立しなければ、その因果関係は存在していないと判断されます。定性的評価は、正に、逃げの一手に他ならないと思います。」

それでも、昭電鹿瀬工場からメチル水銀以外の重金属(Hg・Fe・Mn等々)が流されていたのであれば、メチル水銀中毒を加重的・加速的に重篤にした可能性は高いと考えています。水俣湾沿岸の自然発症(狂死)ネコの腎臓中総水銀濃度よりも阿賀野川下流産川魚で飼育したネコ(衰弱死⇒発症死でない⇒脳のメチル水銀濃度は水俣の自然発症ネコのそれらよりかなり低く、メチル水銀中毒が致命症でない可能性を否定できません)のそれら方が断然高いという記録があります。昭電が新潟水俣病患者の訴えに負けた民事裁判は、結果的には正しいと思います(昭電が廃液処理を怠り、メチル水銀を流したという過失責任は確かにあります)。

阿賀野川最上流は阿賀川です。阿賀川は福島県の大河であり流域は米作地帯です。阿賀川流域で散布された水銀系農薬由来のHgが阿賀野川を加重的に汚染したことは否定できないでしょう。阿賀川のデータではありませんが、福島市の水源としていた阿武隈川から0.6ppmの高濃度水銀の排水基準(*3)は0.5ppbなので、その千倍超]の総水銀が検出されています(朝日新聞, 1974.11.2)。また、新潟県のもう一つの穀倉地帯である上越の関川流域でも16人に水俣病症状があると診察されています。関川流域ではアセトアルデヒド生産量でチッソに続く第二位のダイセル新井工場が操業していました。(*3;水銀の環境基準は設定されていません⇒水銀のクラーク定数は80ppbであり、分析技術が高ければ自然界;海水などから常に数ppt程度の無機水銀が検出されます。)

関川最下流および関川最下流に流れ込む保倉川最下流で捕獲されるニゴイは2013年の時点でも総水銀で0.4ppm超、メチル水銀で0.3ppm超の汚染魚であり、1974年以来漁獲の自主規制が続いています。新潟県は、関川下流域環境のメチル水銀が汚染レベルに留まっている原因は関川最上流の支流である白田切川の火山性水銀であると言います。胡散臭い自然災害説です。鹿児島湾と同様に、自然由来の水銀汚染であれば、補償・環境改善への支出は無くて済みます。自然災害とは、行政にはこの上もなく都合の良いもののようです。

阿賀野川流域住民は習慣的に魚影の濃い川魚を蛋白源として多食してきました。米作地帯の川魚のMeHg濃度は農薬の散布時期であれば5~10ppmに達します。①10(5)ppmの魚を毎日200(400)g食べる者は2か月後には閾値を超え中毒発現するでしょう。②10(5)ppmの魚を毎日100(200)g食べる者は500日後には閾値を超え中毒が発現しますが、50(100)gでは中毒閾値を超えません(中毒しない)。②の者であっても時に(10日に1日程度)1kg/日を超えるような爆食いをすると①よりも早く閾値を超える可能性があります。したがって、メチル水銀汚染魚の継続多食あるいは爆食がメチル水銀中毒の最大のリスクです。ネコのように必須栄養素としてのタウリン摂取のために継続的に魚食が必須・必然である場合は、MeHg汚染魚の摂食によってMeHg中毒が発現するでしょう。複数のネコ狂死などの生態系の異常が確認されている関川流域で16人のMeHg中毒者(?)というのは、多食者が少なかったに過ぎません。「関川流域の住民の川魚摂取習慣が阿賀野川流域住民並みであれば、大変なことになっていたと思われます。」

昭和電工鹿瀬が訴えられ、ダイセル新井が訴えられなかった差は、阿賀野川で急性・亜急性患者(20ppmであれば300g/日×15日で発症)が発生したことに加え、両河川流域住民の川魚摂食習慣に差があったことが考えられます。関川のMeHg患者(?)がダイセル新井工場より上流域に居住していたことも何かしら影響したのかもしれません。

Translate »