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第二章 徳山湾第四水俣病

1973年5月22日、熊本大学第二次水俣病研究班が熊本県に提出した報告書に、1960年で終息したとされた水俣病の発生が慢性発症(慢性水俣病)の形態でその後も続いていること、さらに八代海と対峙しない海岸線の熊本県有明町(天草上島・現上天草市有明町)に認定基準を満たす水俣病患者8人、疑いの持たれる者2人、要観察者9人の存在を示す記述のあることが報道されました(朝日新聞、1973.5.22)。これは有明海の水銀汚染源がチッソ水俣工場以外、すなわち有明海沿岸の宇土市(および大牟田市)で操業する2つの水銀を使用する事業所であることを推論したものであり、新潟水俣病に続く、第三の水俣病が起きているとの報道でした。

この有明海第三水俣病騒動に素早く対応し、1973年6月から水銀使用工場のある全国9水域(水俣湾・八代海・有明海・徳山湾・新居浜沖・水島地先・氷見/魚津・伏木/富山・酒井港地先)についての魚介類水銀調査が行われました。この魚介類水銀調査については目標とした検体数が1万件と大規模でしたが、第三水俣病問題発生による全国的な魚介類の消費離れや漁業関係者の生活問題が関わっていたため、目標の検体数に達していない状態で同年8月13日には緊急的に報告されました。水俣湾徳山湾、および新居浜沖以外の、6海域、当の有明海を含め、魚介類総水銀の平均値は規制値以下であるという部分的安全宣言でした。引き続きの調査の最終結果は、同年11月9日に報告されました。そして、水俣湾徳山湾以外の、新居浜沖を含めた7海域についてはいずれの魚介類も基準値を超えるものが無いというものでした。

水俣湾では5種(コチ、カサゴ、スズキ、クロダイ、カナガシラ)、徳山湾では5種の魚介類(アイナメ、メバル、スズキ、クロダイ、ウミタナゴ)が暫定的規制値である総水銀で0.4 ppb超,メチル水銀で0.3 ppb超でした。しかし、徳山湾でも水俣湾とともに全魚種を対象に漁獲等が規制されました。そして汚染源とされたカセイソーダ工場が廃棄・埋め立てていた徳山湾海底15 ppmHg以上底質浚渫・埋立て工事をおこないました(1975年7月着工、77年3月竣工)。漁獲規制は、1979年10月から一部(4種類)解除され、1983年12月にクロダイを最後に全て解除されています。

実は、徳山湾では第三水俣病事件に先立つこと1971年6月と7月に、厚生省による徳山湾内魚介類の水銀調査の公表がありました。沿岸漁協でセリ値が暴落したという経緯がありました。

中西らは徳山湾の環境中水銀の経時的測定を基に詳細な調査・研究をしています(Nakanishi et al, Mercury pollution in Tokuyama Bay, Hydrobiologia, 176/177 : 197-211, 1989)。徳山湾に立地した工場群の水銀の損失量および排水量(380.8㌧,6.64㌧)を水俣湾(222.7㌧,81.5㌧)、新居浜地先(191.2㌧,0.7㌧)、および水島地先(30.1㌧,0.76㌧)と比較し、水質・底質・魚介類の水銀汚染が水銀の損失量と排水量の多い徳山湾および水俣湾で発生した可能性を指摘しています。しかし、中西らは、調査時点の徳山湾の二つのカセイソーダ工場がすでに循環式排水であり、直接、海水域に排出される水銀が無かったにもかかわらず、メチル水銀汚染魚が検出されていることに疑問を抱いています。また、底質の水銀の海水への溶出率としての104(実験で得られた値は1.4×104)および工場群の水銀損失量を基に算出した海水中水銀濃度の期待値が5 ng/L(ppt)であるにもかかわらず、実際には30 ng/Lであったことから、底質水銀の溶出分では実際の海水中水銀濃度を説明できないと考察しています。

中西は底質浚渫・埋立て着工以前の70年12月・71年7月/10月・72年3月および73年6月/9月の2年9か月の間に6回に亘って徳山湾北区分および南西区分における底質および魚介類の総水銀濃度を測定しています(図を示せないのが残念です)。

徳山湾北区分は夜市(ヤジ)川(流路延長10.8 km,流域面積53.3 km2)の河川水とカセイソーダ工場A(未回収水銀量;201㌧)の排水が流れ込み、仙島および黒髪島の北沿岸、そして大津島の一部に囲まれていますが、西方が大きく開いています。底質総水銀濃度は平均値で5.59 ppmです。一方、徳山湾南西区分は富田川(10.3 km,36.1 km2)からの河川水とカセイソーダ工場B(307㌧)の排水が流れ込み、仙島および黒髪島の南沿岸、そして大津島の東沿岸、さらに大島の北西部沿岸に囲まれ、まさに閉鎖的内湾の地形です(海面面積は北区分の4倍)。底質総水銀濃度は平均値で3.00 ppmです。

未回収水銀量と閉鎖性からすると、魚介類総水銀濃度は南西区分の方が北区分より高いことが期待されます。しかし、5種類×6回の測定値における南西区分の総水銀の幾何平均値は0.30 ppm、北区分のそれらは0.49 ppmです。70年12月から73年9月までの幾何平均値は、南西区分で、0.38,0.29,0.30,―,0.28 および 0.29 ppm、北区分で、0.80,0.76,0.68,0.66,0.27 および 0.21 ppmです。73年6月および9月については両群に差はなさそうです。

魚介類総水銀濃度の経時的変動を示した図に掲げられている底質および各種魚介類の総水銀濃度を数値化し、魚介類の総水銀濃度Y(対数値,ppm)を従属変数、工場排水中の年間水銀排出量X1(㌧;AおよびB工場の排出比率の記載がないので両区分の未回収水銀量比率で分配します)、および湾区分X2(北区分=0,南西区分=1)を説明変数、魚介類生息域X3[底生動物(ヒラメとエビ・カニ類)=0,その他=1]、季節区分X4(A;7~9月=0,その他月=1)、70年12月からの経過月数X5(B)、さらに両者の積X6(A×B)を、共変数として重回帰分析を行いました。回帰式Y=0.62×103 X1-0.210 X2+0.428 X3-0.34×101 X4-0.84×102 X5+0.24×102 X6-0.390が得られました。徳山湾の魚介類総水銀濃度は、年間排水水銀量X1と関係しないが(p=0.616)、湾区分X2では南西区分が北区分よりも低く(p=0.005)、魚介類生息域X3では底生動物でその他の魚介類より低かった(p<0.001)。また、季節区分X4では7~9月に高いが有意でなく(p=0.816)、70年12月からの経過月数X5とともに低下しましたが(p=0.012)、両者の積X6、すなわち7~9月以外の月は経過月数とともに有意ではありませんが上昇していました(p=0.605)。定数は有意でした(p=0.002)。

湾区分が魚介類総水銀濃度の有意の変動要因(p=0.005)でしたので、湾区分別に魚介類の総水銀濃度(対数値,ppm;Y)を従属変数として重回帰分析を行いました。工場排水中の年間水銀排出量X1(㌧)、を説明変数、魚介類生息域X3[C;底生動物(ヒラメとエビ・カニ類)=0,その他=1]、70年12月からの経過月数B(X5)、さらに両者の積X6(C×B)、および季節区分X4(7~9月=0,その他月=1)を共変数としました。北区分で得られた回帰式はY=0.60×103 X1 +0.416 X3+0.113X4-1.69×102 X5+0.27×102 X6-0.258であり、南西区分ではY=1.05×103 X1 +0.362 X3-0.19×101 X4-0.16×102 X5+0.17×102 X6-0.731でした。北区分では、X3(生息域)およびX5(経過月数)が有意でした(p=0.028 and p=0.008, respectively)。一方、南西区分ではX3(生息域)と定数が有意でした(p=0.006 and p<0.001, respectively)。北区分で観察された魚介類総水銀濃度の有意の経時的変動が、南西区分で見られなかった(むしろ定数が有意だったことから基盤的総水銀濃度が安定していた・閉鎖系内湾の地形の故か?)ことから、徳山湾の主なメチル水銀汚染源は北区分を中心として経時的に減少したことが示唆されます。また、湾区分にかかわらず、底生動物よりもその他の海水層の魚類の方の総水銀濃度が高いことから、主体的な水銀汚染源が底質に由来した可能性は低いことが指摘できます。

中西らは652個体の魚介類とそれらの採集地に対応する416ヶ所の底質のそれぞれの総水銀濃度が、魚種別に検討しても量(底質水銀)反応(魚介類水銀濃度)関係が成立しており、底質水銀がメチル水銀源である可能性を指摘しています。しかし、一方でメチル水銀生物濃縮率が高いメバルアイナメクロダイおよびスズキと、それらが低いアナゴシロギス、コノシロ、シャコ、アカガイ、ザルガイ、およびプランクトンが、食物連鎖上(太字肉食)では無秩序であることから、底質水銀がメチル水銀源であるとは特定していません(Nakanishi et al, 1989)。中西らは未回収水銀・工場排出水銀量がメチル水銀汚染源である可能性が高いという「公害」を背景・基盤とした考察をしています。筆者の重回帰分析には説明変数として工場排出水銀量を用いていますが、魚介類総水銀濃度の有意の変動要因ではありません。また、重回帰分析における底生動物よりもその他の海水層の魚類の方の総水銀濃度が有意に高いという結果は、中西らが示した生物濃縮率の低い魚種の全てが底生動物であり、その他の生物濃縮率の高い魚種、すなわち底生生物でない魚種の総水銀濃度が高いことを説明しています。徳山湾海水中メチル水銀濃度が、海底よりも上層に高かったことが示唆されます。メバルアイナメクロダイおよびスズキはどれも海岸域に生息します。さらにクロダイおよびスズキは、汽水域・淡水域でも生息出来ます。メチル水銀が河川水によって運ばれた可能性は十分あると思います。

ところで、南西区分に注ぐ富田川の河川水は発電利用の他、工業用水を主体に一部は上水(15%程度,菊川浄水場;河口から4.5 km付近)として使用されていました。したがって、徳山湾への河川水流入量は限定的でしょう。一方、北区分に注ぐ夜市川流域は盆地状の地形のため取水に不利であり、ほとんどの河川水が徳山湾北区分に流入していました(80年代以降は夜市川最下流の潮止堰から工業用水として取水されています)。流域面積も夜市川が富田川の1.5倍です。したがって、北区分に河口のある夜市川の河川水から農薬由来のメチル水銀が運ばれた可能性は否定できないでしょう。しかし、7月~9月の魚介類総水銀濃度が高いという農薬由来のメチル水銀が汚染源とする直接的な統計結果は得られませんでした。それでも、稲イモチ病対策の「セレサン石灰」の散布は、66年および67年の非水銀系農薬への使用替え通達によって、その使用量が減っています。徳山湾の底質水銀の浚渫・埋立て工事前(75年7月着工)における魚介類総水銀濃度の低下に対し、底質水銀(未回収水銀;データはないが増加するはずです)および工場排出水銀(重回帰分析で有意でない)が寄与したとは考え難いと思います。「セレサン石灰」の使用量の減少が魚介類の総水銀濃度の経時的低下の原因である可能性は十分あると思います。したがって、徳山湾のメチル水銀は「セレサン石灰(酢酸フェニル水銀系農薬)」に由来し、河川水によって運ばれたことが示唆されます。

また、中西らは浚渫・埋立て前の73年6月から77年3月竣工後の83年6-7月までの水銀汚染魚の総水銀濃度を測定しています。調査区分についての記述はありません(Nakanishi et al, 1989)。浚渫・埋立ての竣工3か月前(76年12月)の5種の水銀汚染魚の平均総水銀濃度(0.36 ppm)およびクロダイの総水銀濃度(0.46 ppm)が、浚渫・埋立て着工後1年(76年6月)のそれら(0.52 ppmおよび0.66 ppm)から急落したことを浚渫・埋立ての効果と指摘しています。しかし、竣工後3-4か月の(77年6~7月)に5種およびクロダイの総水銀濃度が0.36 ppm → 0.40 ppmおよび0.46 ppm → 0.58 ppmに再上昇したことについては触れていません。海底の残留水銀の大量の除去(浚渫・埋立ての竣工)という一つの要因が、水銀汚染魚の総水銀濃度を一旦低下させ、さらに再上昇させたとは説明出来ないでしょう。西日本における毎年7~8月の稲イモチ病対策のための水銀系農薬の散布がほとんど行われなかったとしても、水田に散布残留した酢酸フェニル水銀の水田土壌の微生物の分解に由来するメチル水銀が0.40 ppmおよび0.58 ppmへの再上昇の原因になった可能性は否定できないのではないでしょうか。

一方、76年11、12月から’83年6、7月の約7年間の4種の水銀汚染魚(アイナメ・タナゴ・メバル・スズキ)の総水銀濃度の平均値、および78年10、11月から81年6、7月の約4年間のクロダイの総水銀濃度の、二つの低下は緩慢でした。この場合、浚渫しなかった15 ppm未満の水銀を含有した底質が未だメチル水銀汚染源と言うのでしょうか。そうだとすると、浚渫基準値(15 ppm以上・水俣湾は25 ppm以上)に根拠がないと主張することになります。しかし、15 ppm以上の底質の浚渫・除去をする以前から北区分の魚類の総水銀濃度は経時的に低下しました。したがって、徳山湾における汚染底質の浚渫・除去と水銀汚染魚の総水銀濃度の変動とに関連が乏しいことが指摘できるのではないでしょうか。これは、徳山湾において底質水銀の溶出分では海水の水銀レベルを賄えない(Nakanishi et al, 1989)という中西らの疑問の裏付けになっています。正に、メチル水銀汚染源の主体が底質水銀であった可能性は極めて低いことが示唆されます。徳山湾の東に隣接し、工場廃液が流入しない極めて閉鎖系の笠戸湾の環境中水銀・魚介類総水銀濃度の変動を、対照として調査していたら、と残念です。汚染源が工場廃液・未回収水銀と決めつける前に、それらの無い対照と比較するべきことを知っていただきたいものです。第二章はここまでです。

公開日 2018年7月22日作成者 tetuando

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