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臍帯メチル水銀濃度の謎

我が国では、胎児の命綱である臍帯を出自の証明として保存する習慣があります。桐箱に収められた私の臍帯も何度か母に見せられた記憶があります。しかし、保存臍帯は母親の宝なのでしょう、所帯を持ってからも譲渡されることはありませんでした。そんな保存臍帯が語ってくれる貴重な情報の紐解きに挑戦しています。

胎児性水俣病患者を、正に「赤ヒゲ」医師としても温かく見守ってこられた原田正純先生は、不知火海沿岸住民の保存臍帯を多数集め、それらのメチル水銀濃度を測定しました。そして、臍帯メチル水銀濃度とチッソのアセトアルデヒド生産量との時間分布を一つの図(原田図と後述します)にして比較することによって、不知火海がチッソの工場廃液に由来するメチル水銀に汚染されたと説明しました。巷の環境疫学の研究者の多くが、この結論を全面的に受け入れています。環境疫学の基本を踏まえていないこの結論に、何の疑問を持たないのは残念なことですし、科学の発展の妨げになると思います。

ところで、2011年になって、それらの臍帯メチル水銀濃度が、提供者の性・誕生日・出生地とともに資料として水俣学研究という熊本学園大学の紀要に投稿された(原田と頼藤,2009)ことを聞きました。そのデータを使うことが出来れば、臍帯メチル水銀濃度の時間分布だけでなく地理分布が得られます。そこで、データの使用を許可してもらおうと熊学大の原田先生への訪問を思い立ちました。訪問の理由とともに訪問日時の確保を手紙で尋ねました。数日後、「治療のため、病院通いが続いているのでお会いするのは難しいと思います。大学には安藤さんのことを知らせておきますので、直接、大学に行って下さい。資料は自由に使ってください。そのために全てのデータを載せたのですから….。」と原田先生から電話がありました。原田先生が亡くなる1年前のことでした。この言葉をもらった私が、臍帯メチル水銀濃度の謎を解き明かす旅に向ったのは言うまでもありません。

環境疫学における原因解明の原則(基本)は時間・地理分布にあります。原田図の内容・中味の実際を知らない間、私は、「不知火海のメチル水銀汚染源はチッソの工場廃液」だと思っていました。水俣湾沿岸住民が対象者だと思い込んでいました。だから、水俣湾の何処が最も汚染され、その汚染状態が何時まで続いたのか明らかにするために、原田と頼藤(2009)のデータを必要としました。しかし、その目論見は見事に外れました。実際の対象者(臍帯提供者;299人)は、出水97人、水俣91人、そして芦北3町47人などであり、それなりに広範囲の地理分布でした。ここから、新たな謎解きの旅が始まりました。

原田図は、水俣湾内の百間排水口から放出されていた工場廃液の環境影響を、水俣湾沿岸住民だけの臍帯メチル水銀濃度の時間分布で観察していなかったのです。すなわち、地理分布を無視していたのです。そこで、水俣の91人の臍帯メチル水銀濃度だけで時間分布を描きました。1956年(s31)が最大であり、アセトアルデヒド年間生産量の最大であった1961年に先行していました。因果関係があれば、必ず原因が結果に先行します。しかし、時間の先行性が得られないからといって、工場廃液が原因であることは疑う余地はありません。アセトアルデヒドの生産工程に変化がありました。1959年8月に触媒を酸化水銀(Hg++)から金属水銀(Hg0)に替えていました。化学反応系を考慮すれば、工程当たりの塩化メチル水銀の副生量が減った可能性はありますが、生産量が増大していたので、環境へのメチル水銀負荷量の変動はわずかだったと思われます。時間の先行性が得られていないという謎(矛盾)に、研究者の誰もが気付かなかったのでしょうか?水俣湾沿岸住民だけを対象として臍帯メチル水銀濃度の時間分布を描いて初めて分かることなので、誰もそれを描かなかったのでしょう。とはいっても、91人という例数からの情報なので、当然、誤差を捉えきれていないという限界があります。

一方、出水および芦北3町における臍帯メチル水銀濃度の最大は、それぞれ1955年と1959年でした。この場合も十分な例数でないことから早々に結論を得るべきではないでしょう。それでも、工場廃液は1958年9月から翌年10月までの14か月間に、水俣湾外の八幡プールから不知火海へ直接流出しました。これは、1959年に芦北3町のそれらが最大になったことを説明出来そうです。

結局、環境疫学の原点というべき結果の時間および地理分布からの情報は、原因(メチル水銀負荷源)として工場廃液だけでは説明できそうもないというものでした。それでも以前から水銀系農薬もメチル水銀負荷源だろうと考えていましたので、いわば、渡りに舟の情報だったことになります。

それからというもの、知識の限りの統計学(といってもパソコンと統計ソフトという手段)を使って臍帯メチル水銀濃度の時間および地理分布の詳細を検索しました。この場合、時間分布に出生月から得られる季節分布が検討出来ます。すなわち、工場廃液(季節差小)および農薬(夏季に偏る季節差)に由来するメチル水銀をそれなりに区別出来るということです。3地域もそれぞれ要因とすることで、様々な要因を満たす例数は219人に減りましたが、それなりに統計に耐えられそうです。臍帯メチル水銀の大部分は妊娠後期の曝露によるものなので、不知火海沿岸の稲イモチ病対策(予防および治療)のセレサン石灰の散布が行われる7月から8月の夏季の出生児のそれらが最も高くなることが期待されます。

臍帯メチル水銀濃度(219例)を従属変数とする重回帰分析の結果は、期待通りのものばかりではありませんでした。季節区分は1~3月生、4~6月生、7~9月生、および10~12月生としました。臍帯メチル水銀濃度は1~3月生≧7~9月生>10~12月生>4~6月生であり(統計学的に地域差を調整しても、例数と値が最も大きい出水の結果に強く影響される⇒交絡は防げない)、7~9月生が最大ではありませんでした。それでも、4~6月生が最小であったことは、6月が農薬の散布直前なので農薬由来のメチル水銀負荷が最小だったとの説明が成立しそうです。都合の良い説明に出会うと、鬼の首を取った気になります。確かに7~9月生のそれらが最大であれば、この説明に矛盾は生じません。しかし、1~3月生のそれらが最大です。そのことを7月・8月の農薬散布による直接的な影響と説明するのはどう転んでも無理です。

結局、分析対象の例数が減りますが(基本的には検出力は低下する)、3地域別(地理分布)にさらに期間(時間分布)を農薬普及後アセトアルデヒド生産中限定して重回帰分析を行いました。例数が減っても、観察期間を限定するという工夫で、高い検出力が得られることを期待しました。分類群別に分析するという疫学手法では、地域要因(分類群)が交絡要因(この場合、地域毎に確かに異なった背景がある;出水・農業が盛ん,水俣・工場廃液/閉鎖系内湾,芦北3町・リアス式海岸など)であるかを調べます。臍帯メチル水銀濃度の季節変動において、出水(68例;1071ppb)は13月生>10~12月生≧7~9月生≧46月生(1~3月生>4~6月生は有意差あり)、水俣(49例;466ppb)は10~12月生>7~9月生>4~6月生≧1~3月生(有意差なし)、芦北3町(29例;438ppb)では79月生1012月生≧1~3月生>46月生(4~6月生<10~12月生<7~9月生は有意差あり, 4~6月生<1~3月生は有意差なし)でした。各地域で臍帯メチル水銀濃度の季節変動が全く異なるという結果は、地域要因が交絡要因であることを支持しています。ただし、この場合、交絡というより、それぞれの地域のメチル水銀汚染源がそれぞれ異なる・独立している可能性を示しています。したがって、対象例数が十分であれば、地域要因を交絡要因として扱うのではなく、3地域別に解析すべきであるということです。

地勢上、水俣湾に注ぐ河川水はほとんどありません。したがって、農薬由来のメチル水銀の影響はほとんどないと考えられます。水俣湾のメチル水銀汚染源は、ほぼ工場廃液だけであったと考えてよいでしょう。原田・田尻(2009)は、「不知火海の漁師達は、年中魚を多食するが、5月から7月に最も多く、12月から2月に少ない」と報告しています。水俣の10~12月生=7~9月生+192ppb=4~6月生+327ppb=1~3月生+363ppb(最大の10~12月生と最小の1~3月生間の差でも有意でない,p=0.192)について、1~3月生が最小である理由は魚食量の少ない季節ということで説明できそうですが、その他の季節区分を魚食量で説明するのは困難です。10~12月生(受胎月;1~3月)>7~9月生(10~12月)>4~6月生(7~9月)≧1~3月生(4~6月)と書き替えると、受胎月区分の順が魚食量の少ない順になります。水俣湾の魚介類を一定以上摂食すれば、メチル水銀曝露量が受胎の閾値を超えてしまうと考えれば、魚食量の少ない母の児だけが出生したでしょう。水俣の臍帯メチル水銀濃度の季節区分は魚食量の少ない順、すなわち、受胎不能(流産)の発生数の少ない順と説明できそうです。水俣湾において、農薬由来のメチル水銀の影響がほとんどないことも間接的に説明しています。

芦北3町はどうなっているのでしょう。不知火海の潮の流れの基本は対馬海流ですので、水俣湾の海水は北東の芦北に向かうでしょう。しかし、梅雨や台風で大雨が降って水俣川からの河川水が大量であれば、潮の流れを遮り、水俣湾の海水は、天草・獅子島/御所浦島方面に運ばれるでしょう。そのような潮の流れの一時的な遮蔽を考慮しても、一年を通せば、工場廃液由来のメチル水銀の芦北海域への負荷量は少量だったでしょう。実際、不知火海の海水量は水俣湾のそれらの400倍超です。工場廃液による影響は小さかったと考えられます。その上、芦北3町は7~9月生>10~12月生≧1~3月生>4~6月生です。後者2季節群間の差(1~3月生=4~6月生+449ppb)は有意の傾向です(p=0.069)。4~6月生の臍帯メチル水銀濃度が他の季節区分より十分低いことが示されています。これらの順位は農薬由来のメチル水銀を主な汚染源と見なすには好都合な統計結果です。ただし、芦北3町の解析例数が29と少なく、問題(例数が少ないことによる誤差を拾い上げている可能性)はそれなりに抱えています。

一方、出水への工場廃液由来のメチル水銀の到達は、潮の方向を考慮すれば、芦北へのそれらよりさらに限定的なので、工場廃液をメチル水銀汚染源から除いても良さそうです。また、出水においては水銀系農薬がメチル水銀汚染源のひとつである可能性は十分高いでしょう。実際、出水地区の水田面積は3地域中では圧倒的に広く(芦北3町の4倍強)、出水1071ppb vs 芦北3町438ppbの臍帯メチル水銀濃度の関係を農薬由来でおおかた説明できそうです。しかし、芦北3町のような臍帯メチル水銀濃度の季節順ではありません。出水の臍帯メチル水銀濃度は1~3月生>10~12月生≧7~9月生≧4~6月生です。1~3月生が最大を説明する一つの情報として、冬場の出水沖の不知火海は、偏西風によって結構荒れる為、最漁期の夏場の漁獲魚を乾物とし、それらを冬場に食べるのが習慣化しているようです。農薬由来の高濃度のメチル水銀に曝露された夏場の魚(80%wet)を乾物(20~40%wet)として食べることで、実質の魚食量(固形量)が増え、母のメチル水銀曝露量(魚のメチル水銀濃度×魚食量)が大きくなったと説明できるかもしれません。出水の臍帯メチル水銀濃度の季節順は最大の1~3月生が有意に最小の4~6月生より高く(p=0.039)、次小の7~9月生との差は有意の傾向です(p=0.064)。1~3月生=10~12月生+571ppb=7~9月生+602ppb=4~6月生+616ppbと書き替えることが出来ます。10~12月生=7~9月生+14ppb=4~6月生+45ppbと3季節間の差はほとんどありません。恋路島によってやや閉鎖的な水俣湾と比べ、出水沖の不知火海は開放的な水域であることで、農薬散布の影響がはっきり現れないかもしれません。また、原田・田尻(2009)の言う不知火海の漁師達に出水の漁師達が含まれているかは確かめていません。出水は水俣に比べて農産物は豊富です。魚食量において水俣>出水、さらに、季節による魚食量の偏りが小さいことで1~3月以外の季節区分間での臍帯メチル水銀濃度の差が小さかったと考えることができるかもしれません。

ところで、出水の米ノ津川沿いに製紙工場がありました。製紙工場では木材・木材チップの防黴剤として酢酸フェニル水銀剤が、またパルプの防カビにアルキル水銀剤が使われていました。後者に関しては新聞で報道されましたが(新潟日報、1973/7/1)、南日本新聞では報道されなかったという事実があります。出水沖の不知火海へのメチル水銀負荷に製紙工場由来のメチル水銀が寄与したか否かは全く分かりません。

水俣のメチル水銀汚染源は工場廃液でしょう。それでも20年近く続いた水銀系農薬の散布に由来するメチル水銀が不知火海全体のそのレベルを押し上げていたと考えられます。汚染レベルを脱した(多食者でも中毒閾値に達しない)のは1980年代後半~1990年代前半だと考えています。

芦北3町(+獅子島/御所浦島)では1958年9月~1959年10月の一時期に、多食者において急性水俣病の発症レベルの汚染状態だったと考えられます。実際、1959年7月から11月までに6人が急性発症しています。農薬散布が汚染レベルを高めた結果といえるでしょう。この14か月の工場廃液の直接の不知火海への排出が、芦北3町(+獅子島/御所浦島)の慢性水俣病患者の発生を押し上げたと考えます。

出水を農薬だけの汚染とする証拠は得られませんでした。出水で急性水俣病患者が3人発生していますが、1959年の6月中旬・8月・9月初旬の発症と報告されています。6月中旬の1例は、農薬の散布時期ではありません。残念なことに製紙工場の操業状態の記録は見つかりません。出水の(慢性)水俣病認定患者さんからの聞き取りで、「魚よりアサリを毎日のように食べていた」と聞いた時、『農薬だ』と思ったことがあります。

臍帯メチル水銀濃度の時間・地理分布からの調査は疫学の限界を改めて知ることとなりました。今は、急性水俣病&胎児性患者発生の時間・地理分布から、何か情報が得られないかと挑戦しています。そこから、水俣・466ppb<出水・1071ppbの臍帯メチル水銀濃度の絡繰りのひとつが得られたと思います。水俣湾外の不知火海沿岸住民からの急性患者は、工場廃液が直接的に不知火海に流された期間に限定して発生しています。一方、工場廃液が湾内の百間港に流している間(ただし、農薬散布の普及後)に、水俣湾外から胎児性患者が発生しています。水俣湾の魚介類はメチル水銀濃厚汚染レベルであり、水俣湾沿岸住民の女性が魚をある程度多食すれば、受胎できず、魚食量の比較的少ない母から胎児性患者が生まれた、と考えました。もちろん、さらに魚食量が少なければ、正常児として生まれたでしょう。しかし、水俣湾外居住の妊婦の場合、魚をよほど多食することで胎児性患者を出生しましたが、とくに多食しなければ、正常児を産んだと考えました。すなわち、水俣の臍帯メチル水銀濃度分布は、多食母のデータが欠落し、魚食量の比較的少ない母児の臍帯メチル水銀濃度分布(本来の分布から高濃度域が欠落している)と思われます。一方、水俣湾外(この場合、出水沖)の魚介類のメチル水銀濃度は、水俣湾のそれらよりかなり低かったと思われます。したがって、受胎ができないほどのメチル水銀に曝露した女性は限定的だったでしょう。出水の臍帯メチル水銀濃度は高濃度域が欠落していない、通常の分布と思われます。水俣<出水の絡繰りと考えました。さらに追及しようと思います。

公開日 2018年4月30日作成者 tetuando

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